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被災地から学ぶ民俗芸能の文化力と公立文化施設の役割を考察

岩手・釜石虎舞 伝統芸能(株)ナカツボ・アーツ 民族・伝統芸能プロデューサー
中坪功雄

被災地から発信する現状と新たな創生
 私は50年余にわたって国内の民俗・伝統芸能をはじめ、海外の民族芸能交流の企画開発からプロデュース迄マネジメント業務に携わってきた。今でも各地の公立文化施設から韓国、台湾、香港に至るまで、実演芸術の企画提案書を携えて、プロモーション活動に行脚している現役である。その過程で公立文化施設を囲む文化芸術環境が、刻々と変化してゆく様子を仔細に見てきた。長年にわたる経験から、これまでに見えなかった課題を考察して見たい。既に多くの芸術文化団体特に演劇、音楽を中心に実演芸術では、被災地に向けて「心の復興」をテーマに様々な支援活動事業が展開されている。その評価と効果については、他団体からの報告に委ねたい。大震災から2年余りが過ぎた今、時が経つにつれて、被災地の伝承者たちの状況は、集落や人口離散などで日々風化しつつあると云われている。集落が無くなる事は、地域共同体が創りだしてきた、祭礼行事や民俗芸能の地域文化資源(注1)が滅びることにつながる。生きるだけで大変な目に遭っている被災者にとって「文化どころではない」という無力化の現実もあるようだ。しかし厳しい厳しいと云っても何も始まらない。プラスの側面も考えてみたい。現在被災地では「故郷の伝統を閉ざしてはならない」「故郷の誇りを取り戻さなければならない」という強い義務感も生まれ始めている。地域文化資源の存続が危ぶまれる中で、被災地により温度差や濃淡があるものの、祭礼行事や民俗芸能の再生、復活が徐々に行われている。いずれにせよ如何にメディアが発達し政情・経済が変動しようとも、人間が情緒を求める心を失わない限り、祭礼行事や民俗芸能の世界は永遠に続くと思う。
(注1)地域文化資源とはその地域の固有の風土や歴史から生まれてきた文化であり、その地域に生きる人と人との連帯感=風土制・歴史性・共同制から育まれた文化のことを指す。その資源が祭礼行事・民俗芸能を指す。
岩手・雁舞道七福神


岩手・雁舞道七福神

民俗芸能の意味と戦略的役割を知ろう
 はじめに基本的な用語を知らないとテーマが明確にならない。つまり民俗芸能の意味と社会における役割を知ることから始まる。私たちの祖先は神を畏れ、敬い、信じ、祈りそして祀った。その内で祭礼行事とは、人々を昔の心に戻す再現の場であり、先祖と手を握り、故郷の歴史と民俗を学ぶ祭りの庭である。その庭は生活の基盤そのものであり、祭りの庭は生活の場であった。民俗芸能とは祭礼行事の中の余興的、芸能的な部分が独立、地域の歴史や風土の中で生れ、地域の人々によって育まれた無形民俗文化財である。同時に集落や伝承文化と深く結びついた公共財といわれている。一方では地域伝統芸能の用語が使われている。それは文化庁が発信元ではなく、国土交通省と総務省が「別名・お祭り法案」を法案化するに際して使用した用語である。地域伝統芸能も民俗芸能も郷土芸能共に同じ意味であり、より地域的なものを郷土芸能といい、別に定義されたものではない。私たちは日頃使用している民俗芸能の用語に統一させてもらった。先ず民俗芸能には3つの区分けがある。一つ目は歴史・土地に結び付いた神様向けであり、人々を対象にしないで、人々の目に触れない奥深い箇所で行われている。古くからの伝承信仰に身を清め,神々に供物を奉げて祈願、感謝し神々と人間が慰霊などを行うもので、一連の行事は文化財的要素の濃いものが多い。二つ目は長い伝承の過程で祖先たちは、しぐさや振りに工夫をこらし、日本人の体型に合った技と型に整えてきた。特に芸能価値の高い部分は「見せる・演じる」実演芸術に昇華、創造された部分が今日の能楽、邦楽、邦舞など古典芸能となった。三つ目は当初から舞台と観客がいて、各地を巡業した挙げ句、その土地に定着した芸能がある。芝居小屋、農村舞台、神楽殿で演じられるのは地芝居、人形浄瑠璃、神楽がある。私たちは祭礼行事、民俗芸能は無病息災とか五穀豊穣を祈って、奉納するだけのものと思っていたが、震災を契機に祭礼には「生きる意味」や「死を身近に感じるようになった」これまでは形式的な行事としかとらえなかった人々も、旧盆の供養など再認識したようだ。意味も含んでいる事を知ったという。死者を思いその記憶を伝えたいという強い意志が、祭礼行事・民俗芸能に深みを与えたのではないかと思う。
岩手・北上秋の子ども民俗芸能大会


岩手・北上秋の子ども民俗芸能大会

民俗芸能が創る地域の絆
 震災以前から東北方面では、高齢化と共に過疎と限界集落が増えて、祭礼行事の存続の危機に直面し始めていたところに、追い打ちをかけたのが今回の大震災である。祖先から営々と築き上げてきた祭礼行事・民俗芸能が、一瞬の内に消滅を余儀なくされたことである。多くの有形文化財も甚大な被害を受け、真っ先にレスキュ-活動が開始され、今では着実にその再生が戻りつつある。しかし美術、建物などの有形文化財とは異なり、現実に人々に受け継がれている無形民俗文化財に対する救済は、先ず人々の避難など安全が確保される事が優先された為に後手に回ってしまった。加えて震災直後からイベントや実演芸術の公演が中止、延期、自粛が相次ぐ中、地域を愛する住民たちから、思いを託した祭礼行事や民俗芸能の復活を求める声が出てきた。装束や楽器も流されてしまい、伝統が途切れてしまったかに見えた。しかし背を押したのは三陸沿岸の伝承者たちの「やっぺし」という声が行動を開始した。三陸沿岸地方は元々祭礼や民俗芸能が盛んな地である。沖縄には海の果ての楽園を意味するニライカナイがあるように、三陸沿岸でも海の彼方から豊かな幸をもたらす神様がいる事を漁民たちは知っている。そのために自然と共存する祈りの文化が根付いてきた。例えば三陸の大槌町雁舞道の漁師にとって、縁起物の鯛を題材とした七福神「恵比寿」などをガレキの海辺で面装束をつけて演じたそうだ。更に衝撃的であったのは、3月26日朝日新聞夕刊に津波で壊滅的な被害を受けた陸前高田市の虎舞保存会の伝承者たちが、装束・頭を傷ついた湾の浦々から探し出して、無造作に散らばる瓦礫の前で舞っている姿が報道されていた。その様子は全国に発信されて、被災されている人々に与えた心理的な効果は大きかったそうである。一方では真っ先に行動を起こしたのは、岩手県北上市を中心とした同じ連帯感を持つ鬼剣舞の有志たちの友情出演であった。自分たちが祖先から営々と引き継がれてきた、地域の文化や地域共同体が無くなってしまうのではないかという悲壮感からの結束力であった。感動的だったのは北上鬼剣舞連合会12団体(事務総長菅原晃)「鬼の匠」たちが、被災直後に北上川の爛漫の桜の下に、大きな供養塔を建立、大地を祓い清め、死者を弔い鎮める祈りの舞を捧げた。民俗学では桜花にまつわる詩歌・俳句には、花が華麗に咲き消えてゆく、この消耗の過程が美を構成し、消えゆくものへの鎮魂の意味が込められているという。丁度今、NHKで放送されている無念の思いと共に、未来へ向かう希望を唄った「花は花は、花は咲く、私は何を残しただろう」と奇しくも共通している。伝承者たちは地域に住むお年寄りから子どもの三世代で構成されている。伝承の過程において、青少年達は地域の生業や仕来たりや基本的な礼儀作法など通過儀礼を学んできた。更に先祖代々からの祭礼行事や民俗芸能の維持や伝承方法など日本独特のアートマネジメントを担ってきた。非常時に際していち早く対処出来たのは、日頃の活動のつながりが広がり、共助力として驚くべき力を発揮した事である。その裏には祭礼行事や民俗芸能に情熱を持ったリーダーシップがいたことを見落としてはならない。
福島棚倉・田遊び


福島棚倉・田遊び

プロデュース不足と格差の課題
 現実は離散とか借金を抱えて、明日はどうなるか分からないという幾つかの問題もある。費用がかかる、活動する時間がない、コーディネーターやリーダーがいない等煩わしさと背中合わせにある。そのような後ろ向きな理由を数え上げたらきりがない。先ず専門的なノウハウを持ったプロデュースする側の人が不足しており、非常時に際しても有効な対策が、講じられないケースが多い。どんなに優れた民俗芸能を復活したくても、支援をしてくれる人々がいなければ生き残っては行けない。保存会の伝承者だけで行おうとすると、ともすれば狭い視野から抜け出せなくなることもある。先ず再生を促すにはアートマネジメント機能が必要となる。そのためには運営・制作・演出に精通した創造的なリーダー(プロデューサー)の人材と育成が欠かせない要件となっている。議会、首長が地元に役に立つ事業を求めている時に、それらをプロデュースする担当者は、事業の価値や周辺情報とか評価と効果が説明できなければ、住民を満足させられるはずがない。そこで有能な人材を採用したからといっても、知名度のある実演家、学者研究者、メディア関係者がいきなりプロデュースの専門家として、採用される場合が意外と多いものである。しかしその方々の殆どはアートマネジメントを実践した人でも、プロデュースを体験してきた人ではない。その他の課題の一つ目は煩雑な支援金確保の為の事務手続きが厄介で、出来る団体とそうではない団体に温度差が出ていること。二つ目は国際交流基金海外派遣や文化庁主催国立劇場そして公立文化施設の自主文化事業などに招聘される機会が急速に増えている。参加したくも仕事を失い兼ねないので、参加出来ない保存会の人たちがかなりの数がいること。三つ目は外部のメディアで、いつも陽があたっているところとそうではないところに差が出てきた事である。


公立文化施設が民俗芸能を手助けする
 残念な事に被災地の公立文化施設といえば、未だに避難所というイメージが残っている。文化の力が発揮される場所といえば、自主文化事業をこなしている文化施設にある。今では「心の復興」を掲げ、創作文化活動の発信をテーマとする施設がある反面、直ちに結果が現れる企画、話題性、採算性を追う公演に傾斜している施設など事業に対する価値観が二極化してきた。すなわち商業ベースで出来る事と行政が公益的立場に立って行うべきことの混同が著しいのである。一方では財政事情等の悪化により、事業予算などの使途について、住民に説明責任が求められるようになってきた。何の為に自主文化事業を行うのか。具体的目標を設定して、住民にわかるようなテーマを明確にする事で、評価が求められる時代の到来である。
しかし「地域文化資源の活用」「地域の繁盛は文化から」などをテーマに掲げても、今の指定管理者制度の下では極めて難しく、公的機関でないとその役割が果たせない。先ず優先度の高い事業として、被災地の文化振興に直結する関係を明白にするべく、新たに地域文化推進型の「民俗芸能」「民謡」を推薦したい。しかし商業ベース事業と違って、採算のバランスがとれるものではない。もっと広範に地域に及ぼす文化的な波及効果の視点から評価がなされなければならない。先ず企画を立てる場合、伝承者側、公立文化施設側、お客様の三者間が満足することが基本にある。しかし現実を見ると明確な概念や定義もなく、羅列型に実施をしている事が何と多いことか。お客様を感動させるには、最低限の知識を持ち、知的好奇心を呼び起こすためには構成演出が欠かせない。「舞台配置、衣装、楽器用具、飾り、舞いの説明から髪の結い方」「解説付きの実演、討論会」など立体的な効果を伴うことなど。民謡は各地域社会で伝承されてきた生活の唄として、民俗芸能の分野にある。一方では太鼓・津軽三味線は海外公演や自主文化事業、学校芸術鑑賞会には多く採用されている。しかし余りにも思いつきや安易な創作された部分が多く、今や故郷とは離れてしまったので民謡の分野から除いた。本来の民謡には過去の震災などからの復興祈念し、犠牲者に対して鎮魂と町衆を励ますための唄が多い。貴重な口承芸能でありながら、被災の事例から殆ど触れられていないのは至極残念である。参考事例として岩手県(財)北上市文化創造(理事長菅原晃)では、自主文化事業として「子ども民俗芸能フェスティバル2011・祈りと鎮めの心」を行った。その後北上民俗芸能大会、鬼よ燃えろ、冬のみちのく芸能まつりと続き、今では被災地に出向いて一緒に演ずる出張交流、話し合いの機会を作ることも継続している。これからは地域の民俗芸能をテーマにして、新しい実演創造が生まれる可能性がある事を期待したい。


主要参考引用
公益社団法人全日本郷土芸能協会会報「無形文化遺産の復興・継承支援の事業を推進する」「日本のお祭り検定社団法人日本イベント産業振興協会」「第82号民俗芸能学会会報から福島調査団報告」「東日本大震災復興支援国立劇場民俗芸能公演」「(財)北上市文化創造」「日本の祭り歳時記芳賀日出男」

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