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支援格差を乗り越える―岩手県沿岸部の民俗芸能に関する現状と課題―

追手門学院地域文化創造機構特別教授 岩手県文化財保護審議会委員
橋本裕之
川原祭組に笛を寄贈する伊東義隆さん(2011年7月24日撮影)

 私は文化芸術による復興推進コンソーシアム構築に係る事業調査研究報告書として2012年3月に刊行された『東日本大震災、文化芸術の復興・再生の取り組み―被災と支援の実態調査と事例からこれからを考える―』において、「岩手の伝統芸能と復興への取り組み」という報告を発表している。その末尾において、鵜住居虎舞の笛吹きである友人の岩鼻金男さんが私に送ってきたメールを全文紹介した。これは少なからず心を動かされる内容であったらしい。たとえば、文化芸術による復興推進コンソーシアムのウェブサイトにおいても、コンソーシアム・アドバイザーを務める渡辺一雄さんが、2012年11月22日に掲載された「忘れない 文化芸術が紡ぐ絆を信じ 5」という文章の冒頭で、こう書いている。



“まつり囃子の笛が供養の笛に変わるまで”と題する「平成23年度版調査報告書第5章 東日本大震災と文化芸術の役割」(橋本裕之・盛岡大学 186頁)のくだりには少なからず感動、共感を覚えるとともに、震災を体験しなかった我々が被災者に寄り添う想いとは一体何か?その本当を考えさせる大きな力を宿しています。途中何回も絶句し、最後までは感涙なしには到底読みきれません。今もなお。



 こうした感想はよく聞かれるものである。というのも、岩鼻さんの個人的な体験は私が公表した以降、各種のメディアを介して数多くの人々が共有する社会的な経験に転位していき、大きな共感を生み出している。いわば現在進行形の出来事であり、したがって「想いを凝縮したそうした“語り”。その重さをひしひしと感じ取り共感を覚えるところから文化芸術による復興支援の道筋は見えてくると思います。」という渡辺さんの指摘にも強く共感する。私じしん岩鼻さんが私に送ってきたメールを公開したのも(もちろんご本人に了承してもらっている)、同じような意図に促されていたといえるだろう。
 だが、涙を流して心が浄化されても解決しない問題が数多く残されていることも事実である。文化芸術による復興推進コンソーシアム事務局の小谷典子さんに「コンソーシアムでも、橋本先生に、是非、今年度も東北地方の郷土芸能の復興に関してのご寄稿をいただき、ホームページに掲載したいと考えておりますが、いかがでしょうか。」という意向を伝えてもらい、「岩手県の沿岸部の民俗芸能をはじめ、宮城県、福島県の沿岸部の民俗芸能の復興の現状や課題について」書くことを求められたさい、最初に思い浮かべた問題は東日本大震災以降の民俗芸能に関する支援格差をどうしたらいいかということだった。
 東日本大震災が発生した以降、私は岩手県文化財保護審議会委員などを務めていることもあって、岩手県沿岸部の民俗芸能を支援する各種の活動に従事してきた。それは岩手県沿岸部の民俗芸能が地域社会を再生させるさい欠かせない要素の1つであり、そこで生きる人々にとって気高いものとして存在している消息に気づかされたことに由来している。私の活動は現在も進行中であるが、その課題を要約しておけば、第1段階は用具を購入する資金を助成すること、第2段階は用具を保管したり練習したりする仮設の空間を確保すること、そして第3段階はメンバーが地元で働ける雇用環境を整備することである。
 しかも、第1~3段階は現在も重層的に同時進行している。早くも第1段階や第2段階における課題を克服して、第3段階に挑戦している団体も存在している一方、依然として第1段階にすら到達していない団体も数多く存在している。換言するならば、民俗芸能に関する支援格差が不可避的に発生しているのである。こうした事態は今後も増大する可能性が大きい。私は支援格差が広がることをできるだけ防ぎたいと思って、被災した団体に関する情報を丹念に集めた上で、各種の財団が手掛ける助成事業につなげてきたつもりだったが、残念ながら個人の能力は限られていた。
 2012年11月30日、私は都内で全日本郷土芸能協会の小岩秀太郎さんに会った。小岩さんと私は東日本大震災以降、被災した団体が各種の財団に対して助成金を申請する作業を手伝ったり、代書屋稼業に手を染めたりしてきた。小岩さんは私にとってみれば、最も信頼する仲間の1人である。私たちは支援格差が広がっている状況を少しでも改善する方法に関して、意見を交換した。そして12月18 日、小岩さんはその内容に依拠しながら、東日本大震災以降の民俗芸能に関する現状と課題に関して、フェイスブックに以下の文章を投稿した。小岩さんに了承してもらったので、全文掲載したい。



日本ナショナルトラストの東日本大震災文化遺産への第二次支援が決定。祭りや芸能といった無形文化遺産への支援も行っていて、今回は全て岩手。メセナのGB Fundや日本財団の支援ではほとんど活動の聞こえてこなかった団体名が多く見られます。/岩手では、橋本先生や阿部武司さん、とりらの飯坂さんらが、沿岸に足繁く通っているからこうして被災状況が聞こえてくるのだけど、どうしたってマンパワーが足りない!まだまだたくさんの芸能や祭りがあるのに声を拾いきれないし、さて、どうするか。/お隣の集落の状況や、ボランティア・旅行に行った時に出会った人たちから伺った話などもたくさんあると思います。再開希望の声など、もし知っていたら是非教えてください。何かしら繋げることはできると思います。



 文中に登場する「阿部武司さん」は東北文化財映像研究所の所長として活動している映像作家の阿部武司さん、「とりらの飯坂さん」はふるさと岩手の芸能とくらし研究会が発行する雑誌『とりら』の編集長として活動している画家の飯坂真紀さんである。2人とも東日本大震災以降、岩手県沿岸部の民俗芸能を支援する各種の活動に奔走しており、やはり最も信頼する仲間であるといえるだろう。2012年12月24日、私は小岩さんの文章に触発されて、同じような内容を自分のフェイスブックに投稿している。



みなさん、頼みます。手を貸してください。支援格差が深刻です。中間支援の必要性がますます高まっています。「ほとんど活動の聞こえてこなかった団体」がまだまだたくさんあります。こうした状況は岩手だけじゃないはずです。知り合った団体のところに通って交流するのもたしかに大事ですが、その近くで活動している忘れられた団体についても、お話を聞いてきてください。どうかお願いします。



 私たちは民俗芸能を支援する活動が被災した一部の団体、いわば被災有名団体に集中してしまうことを危惧していた。こうした事態は皮肉にも、私たちが早い時期に各種の助成事業につなげたことによってこそ生み出されていた。私じしんは支援格差が広がっていることに関して焦燥感を持っているのみならず、いわゆる中間支援の必要性があまり強く意識されていないこと、いわゆる研究者が必ずしも積極的に参加しないことにも苛立っていたようである。続けて「自分の調査もそりゃあ大事だろうけどさ……。自分も研究者だと思うから、わかります。でも、調査って何なの、研究って何なの、民俗学って何なの、人類学って何なの……って思ったり。」とも漏らしていた。
 ところで、『毎日新聞』2013年1月24日岩手版に掲載された記事「住民つなぐ民俗芸能 被災団体草の根支援の動き 輪広げ長期的継続を 大阪・追手門学院大 橋本裕之教授(51)」は、「支援を受けている団体と、いまだに受けられていない団体との間で、格差が出ているのも問題だ。被災団体の中には機敏に申請の手続きを進め、支援を受けている団体もあるが、手助けを求める声を挙げることをためらい、支援を受けられていない団体もまだたくさんある。できるだけ多くの団体を応援していきたい。」という私のコメントを紹介している。
 研究者の影が概して薄いのは残念だが、信頼する新しい仲間は意外なところで見つかった。私は「一方で、草の根のつながりも生まれている。内陸の芸能団体から沿岸部への支援がその一例。滝沢村の篠木神楽で笛を吹いている男性は、笛を手作りし、被災した陸前高田市の川原祭組に贈った。道具がほぼ流されていた川原祭組は大変喜び、今も祭りでその笛を使っている。被災後に復活した団体が、他の被災団体の支援をする動きも出てきた。申請書類の書き方や頼れる人の紹介など、被災者同士で助け合う活動には心を打たれた。その輪をもっと大きく広げていきたい。」とも話している。
 とりわけ2012年の秋以降、こうした傾向が自然発生的に出てきていることは興味深い。先行する団体が自分たちだけ復活するよりも、後続する団体を含めて全体として復活することをめざせる段階に入ってきたということだろうか。以下、私が前述した『毎日新聞』の記事を補足するべく、自分のフェイスブックに投稿しようと思って、結局は投稿しなかった文章を公表する。2013年1月26日に書いた。少しばかり躊躇したが、やはり出してしまおう。後半はささやかな愚痴であると思っていただけたら幸いである。



支援格差が広がってきている現状、先行している被災団体が後続する被災団体を支援する活動が広がってきている現状について話しました。浦浜念仏剣舞の古水力さん、門中組虎舞の新沼利雄さん、年行司太神楽の笹山政幸さん……。最初は「支援」していたつもりだったのですが、今は私の大事なパートナー。でも、どの団体も被災しているのです。また、「滝沢村の篠木神楽で笛を吹いている男性は、笛を手作りし、被災した陸前高田市の川原祭組に贈った。」という話ですが、これは伊東義隆さん。もう何十本作ってくださったことか。そして1月14日、川原祭組の秋葉権現獅子舞は伊東さんが作った笛を使って、カルテットの生演奏を実現させました。/それにしても、学者は何をしているのかな~。調査や分析もいいけれども、ある友人に「やはりこういう非常時に当事者とつきあえないなら、学者なんてしょーもないな、と思うわけです。」といわれました。私は学問のことを信じていますが、残念ながら激しく同意。私たちはたしかに凡庸かもしれないけれども、無力かどうかはわからない。とにかく動くしかないんじゃないかなと思っています。



安渡太神楽に寄贈する獅子頭を持つ笹山政幸さん


安渡太神楽に寄贈する獅子頭を持つ笹山政幸さん(2012年9月9日撮影)

 私じしんはニューオーリンズを襲った2度のハリケーンの後、Survivors to Survivorsというモデルに依拠しながら、Surviving Katrina and Rita in Houstonというプロジェクトを立ち上げたカール・リンダールさんに触発されるところが大きい。彼はハリケーンが発生する以前、ヒューストン大学で教鞭を取るmedieval folkloristであった。しかも、私たちはかつてアメリカ民俗学会の年会でmedieval folkloreに関するパネルを組織しており、関心を共有する古い友人だった。東日本大震災以降、民俗文化の諸領域を支援する活動に関して意見を交換する機会に恵まれたが、当時はそうした日が来ることすら想像するべくもなかった。だが、彼が見ていた風景が私にもようやく見えてきたということだろう。
 古水さんたちが手掛けている活動は、被災した団体が被災した団体を支援するというよりも、むしろ被災した団体同士が共働することを意味しており、Survivors to Survivorsのモデルを実現していると考えられる。コンソーシアム・アドバイザーを務める渡辺さんも「共感を覚えるところから文化芸術による復興支援の道筋は見えてくると思います。」と述べていたとおり、涙を流して心が浄化されて終わるような情緒的な地平に立ち止まらないで、現実的な地平において民俗芸能を支援する活動として結実していることを最大限に評価したい。こうした相互関係の延長線上にこそ、支援格差を解決するヒントも隠されているはずである。私が抱えている課題についていえば、中間支援の意義を十二分に認識した上で、支援格差を乗り越える方法を模索していきたいと思っている。

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