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大道芸を被災地へと届ける

プロジャグラー
ハードパンチャーしんのすけ

 車を走らせていると、ある一線を越えたときに突如として荒野が広がった。津波の爪痕生々しく、ぽつりと残った家屋。震災から3カ月程経った頃。被災地を訪れた私たちの目の前に広がっていたのは、SF映画のセットだと信じたくなる光景が目の前にある亘理町でした。その日、私は「被災地へパフォーマンスで笑顔を届ける!」ことに賛同した大道芸人が集まった「被災地応援パフォーマンス団」として、亘理町を訪れていました。


 「被災地応援パフォーマンス団」のはじまりはTwitterでした。東日本大震災。その日の記憶をたどるといまだに生々しい映像が蘇ってきます。そう、映像。メディアに流れる被災地の映像の数々。「ジャグリングでたのしいを届ける!」と日頃うたっている私は、画面を通して届けられる過酷な現実を前に、無力感を感じました。何かできないものか。大道芸人にできることは何か。芸を通して一時でも笑顔になってもらうことはできるのではないか。そんなことを考え、Twitterで発信したところ、70名弱の大道芸人、パフォーマー、そして、大道芸ファンの方々から、反応がありました。それが「被災地応援パフォーマンス団」のはじまりです。
立ち上がってすぐ、3月末には当時避難所となっていたさいたまスーパーアリーナに足を運び、双葉町から避難していた方々へエンターテイメントを届けました。以来、被災地で活動するNPO法人と連絡を取るなどして、細々かつできる範囲でではありますが、被災者へ「大道芸」というエンターテイメントを届けてきました。


 2011年6月、亘理町。津波がすべてを流しさってしまった荒野を眺めたとき、文字通り、言葉がでませんでした。目の前に広がる荒野。圧倒的な暴力の痕。そのときに「被災地応援パフォーマンス団」として、共に公演に向かったメンバーとは、「いつも通りに。」というのが合言葉でした。


 路上を行き交うひとを相手に、突発的に行われるのが大道芸。偶然の出会いから始まるこの芸の形は、観客を巻き込み、至近距離で親密さを持って展開することが持ち味です。老若男女問わずに気軽に楽しめる芸、それが大道芸。その心をして、まっすぐに被災者にエンターテイメントを届けたい、と思っていました。


 私たちが訪れた避難所のひとつは、仮設住宅に移るのも困難なお年寄りが集まっている場所でした。避難所には様々な方がいるので、校庭の一画でショーをみてもらうことにして、 ショーをはじめるために、体育館の中を軽く告知をしてまわります。メンバーそれぞれの持ち芸と、全員での演目を組み合わせ、30分程のショーがおわりました。


「ありがとう」


 体育館で会話をした老婦人が、車椅子で観に来てくれて、涙を浮かべながら握手を求めてくれました。


 実は、その時ですでにたくさんの著名人やアーティスト、エンターテイナー、スポーツ選手などが避難所を慰問に訪れていました。「毎日だれかが来る」と聞きました。私たちもその中のひと組であった訳ですが、暖かく迎えてくれました。決して楽ではない状況の中で受け入れてくれたあの手は、私がこれから先、ショーを届ける時に、大きな力になるでしょうし、いただいた力をまっすぐに毎回の観客に届けないといけないな、と思います。


 また亘理町では、周囲のパフォーマーに呼びかけて、寄贈するジャグリングの道具を集め、ジャグリングのワークショップも開催しました。若者を中心にたくさんの方にジャグリングを体験してもらいました。その中のひとりの子は、ものすごく集中して練習をしてくれて、次々に技を吸収していました。ショーをみてたのしんでもらうのは、もちろんとてもうれしいのですが、何か「残る」ものもプレゼントしたかったのです。「ジャグリング」という技術を伝える事で、その後もたのしい時間を過ごし、さらにもしかするとまわりのひとにたのしい時間をプレゼントしているかもしれない。そうであったらとてもうれしく思います。


 時が移り、2013年1月、福島市。その日、福島市は数日前に降った雪があちこちを覆っていました。そのことを別にすれば、一見すると、日常の風景が広がっています。しかし、屋外は放射線量が依然として強く、こどもたちは長い間屋外で遊ぶことができません。そのような背景から、屋内での楽しめる遊びを取り入れている学童クラブへ、ショーとジャグリング教室を届けました。たくさんの歓声、笑い声、そして、拍手が響いてショータイムは終了。そして、ジャグリング教室では「できた!」「みてみて!」という声がたくさんあがりました。


 私は、こどもたちにジャグリング教室をひらくと毎回言う事があります。


「ジャグリングは失敗しないと身に付きません。どんどん失敗しましょう。難しくみえるジャグリングの技も、たくさん練習して、たくさん失敗すると、できるようになります。どんどん挑戦しましょう。」


 この日、たくさんの笑顔を私は、こどもたちからもらいました。本人が言葉にできなくても、ストレスを感じることが多いのは想像に難くないのですが、そんな中で届いたまっすぐな反応の数々を前にすると、私が伝えるような事は、蛇足なのかもしれません。しかし、そうは思っても、こどもたちへの未来への応援をひっそりと込めたくて、いつもとは異なる感慨を持って言葉を口にしました。


 亘理町を訪れた時と福島市を訪れた時とでは約1年半という時間の開きがあります。場所が違うので単純に比較はできませんが、それでもやはり震災から復興への道のりが早急に進むものではないことを実感せざるを得ません。長い間厳しい生活をせざるを得ない被災者の気持ちを想像すると、胸がざわつきます。しかし、亘理町でも福島市でも、目の前には笑顔がありました。ここで一歩立ち止まって考えると、実際にその笑顔で照らされたのは誰なのであろうか、という思いが立ち上がります。それはまぎれもなく、私でした。よく言えば、ひとときでも同じ時間を共有できた、と言えるかもしれませんが、そう簡単にまとめられることではないように感じています。


 現実にある問題を根本から解決する手段に、大道芸はならないでしょう。しかしせめて、被災地で出会ったたくさんの笑顔が私に力をくれたように、私たち大道芸人が届けるショーが新しい笑顔を生み、それが歩みを後押しする風になれたらな、と思います。

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