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東日本大震災で被災した博物館の復興に対する日本博物館協会の取組みについて(報告)

財団法人日本博物館協会専務理事
半田 昌之

はじめに
 財団法人日本博物館協会(日博協)は、東日本大震災発生後、被災地の博物館に対する復興支援を最も重要な課題と位置付け、幾つかの事業に取組んできた。その柱となった活動が、震災発生後に文化庁の呼びかけによって組織された、東北地方太平洋沖地震被災文化財等救援委員会(救援委員会)の構成団体の一員として、文化財レスキュー事業に参加・協力することであった。文化財レスキューは、地震や津波等によって被災した博物館等から文化財を救出し、安全な場所への移送・ダメージを受けた資料への応急的な処置を中心に、その後の本格的修復を経て最終的には所蔵者の手許に返却する事業である。1995(平成7)年に発生した阪神淡路大震災以降、文化庁をはじめ関連団体による組織的な事業として徐々に整備が進められてきたが、日博協が組織として被災文化財のレスキュー事業に本格的に関わったのは、今回が初めてのことである。そのため、初動段階からの体制作りは、試行錯誤と手探りのなかで積み上げた部分もあるが、何とか最小限の役割を果たす基盤は作ることができたのではないかと考えている。本報告では、2年間にわたる日博協の活動について、その概要をご紹介しつつ現状おける課題を整理し、今後に向けた方向性についてコメントさせていただくこととしたい。


日本博物館協会について
 日博協は、日本の博物館の振興を主たる目的として1928(昭和3)年に設立された団体で、会員となった国内の博物館を中心に構成され、普及・啓発や資質向上、調査研究、助成・援助、そして国際交流等を柱に、全国博物館大会や研修会の開催、月刊誌「博物館研究」の発行など様々な事業を展開している。館種・設置者を問わない全国規模の博物館の調整団体として、現在約1,100の施設が会員となって運営されている。会員は、独立行政法人を含む国公立から財団法人、大学、会社、個人とさまざまな設置者から成り、博物館としての種類も、総合博物館から歴史系、美術館、科学系博物館、動物園や水族館、植物園等を含む幅広い施設が加入し、国際博物館会議(イコム)の、日本における国内委員事務局も日博協に置かれている。一方、近年の博物館を取り巻く厳しい社会環境のなかで、会員数の漸減傾向など日博協の財政状況も厳しく、ギリギリの人員で多くの業務を処理せざるを得ず、事務局の運営に苦慮する実情があり、大きな災害発生時の対応等、突発的な事態に対処する体制は整っているとは言い難い。しかし、このたびの震災への対応については、日博協の果たすべき役割を再確認し、甚大な被害を受けた博物館について、単にモノとしての文化財の救出だけではなく、それぞれの地域のなかで博物館が果していた本来の役割を取り戻すまで、組織として出来得る限りの協力を持続的に行なうことを基本方針として取り組んでいる。


初動対応から文化財レスキュー事業への参加
 2011(平成23) 年3月11日の地震発生の後、日博協では、全国の会員館への義援金の呼びかけ、文部科学大臣等に対し復旧のための助成制度創設についての要望書提出等を行ない、4月5日には、今後の対応の在り方を検討するために「東日本大震災緊急対策委員会」を設置した。委員会では、被害状況調査は時期尚早との意見が強く、また、日博協独自で積極的に活動を展開するには人手や予算が決定的に不足していることから、当面はインターネットを利用した情報提供を行なうこととした。被災地域の会員施設については、ホームページで収集できる情報を整理し、博物館関係の諸団体や有志によって既に行われていた情報収集・情報提供の活動とリンクして、日博協のホームページで公開した。
 一方、文化財レスキュー事業については、参加する意向は固めていたが、具体的な活動イメージを持つことはできずにいた。こうしたなか、4月15日に開催された第1回目の被災文化財等救援委員会の会合を経て、日博協としてレスキュー活動に参加可能な人材を把握することが求められた。このような動きを受け、文化財レスキューを中心とする今後の復興事業への取り組み、海外への被害情報発信等へ対応するため、日博協は、イコム日本委員会と共同で「日本博物館協会/イコム日本委員会 東日本大震災対策本部」を設置し、4月27日の第1回会合において、博物館の被災状況調査や、文化財レスキュー事業への協力、参加志望者の把握などを日博協として実施することが決定された。
 救援委員会が求める「救援活動参加専門家のエントリー」については、日博協の会長名で全国の会員館園 1,105施設に対し参加志望調査を行い、最終的に2011(平成23)年度は42館146名がエントリーするに至った。このエントリーについては、派遣を志望する職員を、各人が所属する組織が職務派遣という位置付けで、現地に出張させる対応が可能なことを原則としている。結果的には、2011年度の日本博物館協会からの専門家派遣は、計11回実施され、22館から延べ45名の学芸員を中心とする職員が参加した。派遣先は、岩手県陸前高田市・山田町、宮城県石巻市・気仙沼市・南三陸町の、一部個人所有の文化財を含む博物館施設であった。現地での作業内容は、被災した施設からの文化財の搬出や、応急処置としての資料の洗浄や整理作業が中心となった。参加者の多くが現職の学芸員であり、日頃から所属する博物館で、多様な資料を取り扱う作業に携わる人々であったため、文化財資料の扱いに対する基本的な知識を持っていたことが、現地での緊急性を必要とされる作業の進行に、少なからず貢献することができたと考えている。
 この救援委員会を核とする文化財レスキュー事業は、当初1年間の予定で始まったが、とても収束できる状況ではなく、2012(平成24)年度も延長されることとなった。日博協は、改めて館員館に前年度と同じ条件で志願者を募り、27の会員博物館から83人の参加志望者がエントリーした。2012年度の現地でのレスキュー活動は、県単位での体制が徐々に整えられつつあるなかで、緊急性を伴うレスキューの件数が大きく減少したため、前年のような規模での派遣要請は、救援委員会から日博協に寄せられることはなかった。その一方で、福島県については、原子力発電所の事故により全住民が避難を強いられている警戒区域内の文化財が震災後も現地に放置され、1年延長された救援委員会の大きな課題であった。こうしたなかで、夏ごろまでには現地の状況も把握され、福島県と救援委員会が、具体的な手順を整理することができたことから、警戒区域内からの文化財のレスキュー活動が本格的に動き出した。日博協も、救援委員会からの要請を受け、双葉、大熊、富岡の3町の博物館施設内に残された文化財の搬出に関する業務へ、4回の専門家派遣を行なった。ただし、警戒区域内への専門家派遣については、事務局が設定した基準として、原則50歳以上という条件が付与されたこと、また、警戒区域内での業務であることから、派遣に要する諸手続きが複雑である一方、職員を職務派遣する判断が難しいという背景もあり、実際に派遣できた人数は少数に留まった。しかし、1年半を経てようやく始まった警戒区域からの文化財のレスキューに、日博協として関わることができたことは、今後に向けても大きな収穫であった。


今後に向けて
 こうして、文化財レスキューを中心とする日博協の2年にわたる復興への取組みも3年目を迎える。始まったばかりの警戒区域からのレスキュー作業の状況を見ても、被災した地域の博物館の復興への道のりはまだまだ遠い。一方で、緊急措置として設置された被災文化財等救援委員会は、2013年3月で解散となる。確かに震災から2年経ち、被災地の博物館も少しずつ体力を回復し、日々の落着きを取り戻しつつあるともいえよう。しかし、警戒区域だけでなく、津波で甚大な被害を受けた地域の博物館では、復興の道筋さえ見出せない施設も少なくない。言うまでもなく、地域に保存されてきた多様な文化財は、歴史と文化の証人として、それぞれの地域の人々にとっては、故郷に対するアイデンティティそのものである。被害を受けた文化財が、レスキュー事業のなかで修復され元の姿に近づくことは、もちろんとても大切なことであり、しっかりと為されなければならない基本的な事業である。しかし博物館は、こうした文化財の単なる保存機関ではない。残された資料をしっかりと守る一方で、学芸員の調査・研究をとおして、それぞれの資料が持つ地域にとっての意味や価値を引き出し、展示など、さまざまな方法で活用することで地域の人々に還元することこそ、博物館に与えられた使命である。そのためには、モノとしての文化財だけでなく、人が集う場としての施設、モノと人の架け橋である学芸員、その施設全体を運営する組織など、博物館を支えるそれぞれの機能が震災の前の状態に戻り、そこに集う人々が活き活きと地域を学び、また、コミュニケーションの場として笑顔で語り合える場として再生を果たさなければならない。
 こうした博物館の復興・再生への歩みは、言うまでもなく、その地域の人々に受け継がれてきた祭や芸能など、無形の文化財とも深い繋がりを持っている。この1年、文化芸術による復興推進コンソーシアムの運営委員の一員として、微力ながら関わらせていただいたなかでも、その目指す方向性と日博協との強い関連性を認識させられた。しかし、その一方で、有形の文化財を主体とするものと、無形文化財に重きを置く活動は、行政の窓口等を含め、本来一体的な取組みであるべき部分に、なかなか横の連携が取り難い課題もあることも学ばせていただいた。
 日博協では、今後、文化財レスキューへの協力はもちろんのこと、本来在るべき博物館の復興に向けて、活動の幅を広げた支援の在り方を考え、息永く持続的に取り組んでいきたいと考えている。そのなかで、本コンソーシアムとの連携、恊働は不可欠なものと強く認識している。是非、意味ある協力体制を作り上げ、被災地の人々に笑顔が戻る復興のスピードが上がるお手伝いをさせていただきたいと願って止まない。

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