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震災後の公立文化施設・文化政策の行方を探る2

えずこホール
水戸 雅彦

避難所でのアウトリーチ活動の様子(震災の3日後、大河原町体育館にて)


震災後の劇場・ホールのあり方
 震災後の宮城県の劇場、ホールの状況を概観すると、沿岸部のホールは避難所となって三ヵ月から半年間その対応で精一杯、その後少しずつ平常化へ向かうが、石巻文化センターにおいては、現在も再開の目途が立っていない。そして、管理する建物がないという理由から、市から指定管理者の石巻市文化スポーツ振興公社へ指定管理料が支払われておらず、公社は基本財産を取り崩しながら団体の存続を図るという異常事態にある。これは、震災後に浮き彫りとなった指定管理者制度の新たな問題点である。
 内陸部の劇場、ホールについても、地震の影響でその多くが再開までに半年から1年の期間を要している。再開までの期間は、概ね被害の度合いに比例していると思われるが、どういう手順を経て再開したかも大きな要素となっていたと思われる。つまり、再開を最優先し緊急、応急的な手続きにより修繕工事を行い、再開後も並行して修繕工事を継続したケースと、平時と同様の調査、手続きを経て修繕を行ったケースである。後者の場合どうしても再開まである程度の時間を要してしまう。実際には50館50様のやり方があり、その進め方はそれぞれであったと思われるが、担当職員の考え方と役所の体質が大きく影響していたようである。
 また、震災後のアクティビティについて、フットワークよく臨機応変に対応できた施設というのは、平時においても、地域と繋がり、さまざまな事業をこまめに展開していた施設であったと言える。考えてみれば当たり前のことなのだが、平時から地域に密着し、地域の状況を把握し、さまざまな施設、団体と連携し、日々事業を展開していればこそ災害時においても、それがそのまま有用なネットワークとなってきめ細かな活動が可能となるわけである。


劇場・音楽堂に足を運ぶことのない95%の人たちが重要なターゲット
 財政難と震災後のさまざまな業務に追われる多くの行政官吏の慌しさをよそに、劇場法の成立、文化庁予算の倍増により、劇場・ホールの関係者は俄かに活気づいている。文化芸術が国民生活にとって必要不可欠であるという認識が一歩進み、そのことによって国や地方の文化的な豊かさがその厚みと広がりを増していくとすれば、それは心から歓迎すべき状況ではあるのだが、その方向性と内容については、さまざまな検討と試行錯誤がまだまだ必要に思える。
 劇場法についてであるが、まずはその成立を心から喜びたい。これまで根拠法がなく、劇場・音楽堂の運営指針が、海外の政策や各方面の論文であったり、直接的には各自治体の自主性に委ねられている状況であったものが、しっかりと国の指針が打ち出されたのである。文化庁の予算が増えたことはまさしく劇場法の成立による最初の大きな成果であると言える。
 さて、その内容であるが、前文は素晴らしい。文言で言うと「地域の文化拠点として、」「大都市集中型ではなく、」「全ての国民が、潤いと誇りを感じることのできる心豊かな生活を実現するための場」「地域コミュニティの創造と再生を通じて、地域の発展を支える」「国際社会の発展に寄与する世界への窓」といったことが盛り込まれており、全国の地域のさまざまな文化状況を包括し、劇場・音楽堂を拠点として、文化芸術により国と国民を豊かにしていくという強い意志が表明されている。
 そして、第三条以降には、劇場・音楽堂の事業、役割、国、地方の役割等が明記されているのだが、その内容はほぼ実演芸術中心となっている。これまでの文化・芸術の潮流から考えれば当然のことであり、最も重要な分野ではあるのだが、現在の文化・芸術の新たな動きについてもう少し膨らませた内容としていただけたら更に良いものとなったのではないかと思う。それは、三条の八号に記された内容「前各号に掲げるもののほか、地域社会の絆の維持及び強化を図るとともに、共生社会の実現に資するための事業を行うこと。」についてである。
 前段で、「震災後のアクティビティについて、フットワークよく臨機応変に対応できた施設というのは、平時においても、地域と繋がり、さまざまな事業をこまめに展開していた施設であったと言える。」と書いたが、これらのアクティビティはその多くが劇場・音楽堂の外で展開されるものである。地域によってばらつきはあるだろうが、劇場・音楽堂の公演に自らの意思で足を運ぶ人口は1~5%程度と推測される。もし、政策として文化・芸術を通して、人と地域の活性化を図っていくことをはっきりイメージするとすれば、むしろ日ごろ劇場・音楽堂に足を運ぶことのない95%の人たちの方が重要なターゲットであると言える。
 その事業展開は、例えば、今、全国のさまざまなところでアートプロジェクトが展開されているが、それらの多くは美術館を拠点とせず、地域のさまざまな人や要素と絡み合い、化学変化を起こしながら新たな表現と成果を獲得している。劇場・音楽堂も積極的に地域に足を運びたくさんの回路を開き、老若男女、幅広い層に向けて、潜在的なアートに対する欲求を掘り起こしながら、人々の創造性を引き出し、能動的に活動に関わっていただくことによって、人と地域が活性化していくようなさまざまなプログラムを展開していくべきなのではないかと考えている。


劇場・ホールはコミュニティの核施設であるべき
 地方において、劇場・ホールはコミュニティの核施設であるべきなのだと思う。その一つの例として、最近日本においても度々取り上げられ、ご存知の方も多いと思うが、イギリスのリーズにあるウェスト・ヨークシャー・プレイハウスについて紹介してみたいと思う。
 ウェスト・ヨークシャー・プレイハウスは、劇場入口にカフェがあって毎日朝からたくさんの人たちで賑わっている。カフェは朝の9時から夜の7時まで営業しており、観劇に関係なく近くの人が朝食、ランチを楽しめる。併設されているバーは夕方の5時半から終演まで開いている。食事を頼まず打ち合わせやおしゃべりをしている人たちもいる。施設が開かれ、たくさんの人たちの憩いの場となっているのである。
 そして事業であるが、一方で優れた舞台作品を制作しながら、一方では高齢者、障害者、子ども、幼児、そして一般市民に向けて、多様なプログラムを展開している。その数はなんと年間1,000回を超えるのだそうだ。一つ紹介すると、毎週水曜日に開催されるヘイデイズ。お年寄り向けのプログラムで、たくさんのプログラムから選んで参加できるようになっている。お年寄りが通年でいきいきとアート活動に参加し、その作品をバザーで売ってさまざまなところに寄付するのだそうだ。アートで余暇を楽しむだけではなく社会貢献の役割も果たしているのである。そして、それらの活動の集積の結果としてリーズ市に1000万ポンドの経済効果をもたらしているのだという。まさに社会に開かれ、地域とともにある劇場なのだと思う。
 豊かな社会とは、さまざまな人たちが住み、いろいろな価値観が認められ、お互いの存在を認め合い、お互いを助け合って生きる社会なのだと思う。つまり共生社会ということである。劇場法に戻ると三条の八号に書かれていることがそれにあたる。
 劇場はもっとたくさんの人たちに向けて開かれ、誰もが参加できるたくさんのプログラムを用意し、公演も事業も何もないときでもふらっと足を運んで憩える場所であるべきなのだと思う。「感動のないところに、成長はない」という言葉がある。また「人生を楽しむことが自己実現へのいちばんの近道である」という言葉もある。劇場・ホールは、優れた舞台芸術を提供すると同時に、すべての人が楽しく豊かに幸せになるためのさまざまなプログラムを用意していくべきだと思う。そして、それはもはやアートでなくてもいいのではないかとも思っている。

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