試される文化芸術のチカラ11 ~春を告げる祭礼
志賀野 桂一
「八戸えんぶり」のもう一人の主役、子供たち (C)写真撮影:志賀野
八戸地方に伝わる「えんぶり」を紹介してみます。旧の小正月に4日間行われ町中が「えんぶりモード」一色となります。もう一人の主役の子どもたちも活躍するまつりであることから学校も休みを認めると聞きます。地元にとって冬のまつりのひとつですが、春を告げる五穀豊穣を祈る祭りとして親しまれているのです。今年(2013年)の参加は22組のえんぶり組と特別参加で8組の子どもえんぶりが登場しました。
近年、東北には「みちのく5大雪まつり」岩手雪まつり、弘前城雪燈籠まつり、なまはげ柴灯まつり、横手かまくら、八戸えんぶりを合わせて冬の観光として紹介されています。
この中でも八戸えんぶりは、最も歴史が古く、諸説はありますが12世紀末から始まり約800年にわたって続いてきた伝統の民俗芸能で、国の重要無形文化財に指定(1979年)されている奇祭です。“奇祭”というのは私が勝手に述べているのですが、初めてみたときから多くの謎を含んだ、特異性のある芸能と感じました。私の研究では、馬の神聖性をかたどった馬飼いたちのもたらした儀式に、農耕の道具「朳」(えぶり)に由来するえんぶり祭りとして完成していったのではないかと推定しているのです。
この祭りの特色を上げると町内毎に組織された組(明治初期の多いときで100組を超えたという)が太夫と呼ばれる極彩色の烏帽子を被った3~5人の大人を中心に祝福芸を演じる子供たち(4歳から大人まで)太鼓・手平鉦(てびらがね)・横笛などの楽器隊、そして歌や囃子方など15人から20人で構成されています。
演技は「踊り」あるいは「舞」といわずに「摺り」(すり)といいます。土を平に摺る鋤や鍬といった農耕の道具がもとになっている鍬台(かんだい)、鳴輪やジャンギを使っておこなわれます。摺りこみ(口上)→摺りはじめ、→中の摺り、→摺り納め→ 畦留め(くろどめ)順で行われ、合間に子どもたちの祝福舞として松の舞、大黒舞、えんこ・えんこ、恵比寿舞などが演じられます。さらに「金輪切り」や「南京玉すだれ」などの余興が挿入されて、通常30分ぐらいで1ステージが成立しています。
えんぶりの主役「太夫」は馬の頭をかたどった鳥帽子をかぶり、黒い羽織、農具を模した棒を手に、足には藁でできたツマゴを履く習わしです。また、<なが>と<どうさい>の2つの型があります。
<なが>は、「ごいわいえんぶり」や「キロキロ」とも呼ばれ古くからの型といわれ、動きがゆっくりしています。鳥帽子には赤い牡丹またはウツギの造花があしらわれ、太夫の藤九郎は鍬台(かんだい)という鋤の柄を持っています。
<どうさい>は、烏帽子に馬の鬣を模したとされる5色の房飾りがつき、動きのテンポが早く、勇壮活発で途中に「どうさい」という掛け声が入ります。手にはジャンギと呼ばれる金具のついた棒を持っています。このように2種の摺りの雰囲気は大きく異なるものとなっています。八戸地元の人々はこの違いを良く知っていて、好き嫌いも人それぞれです。ちなみの私の好きなのは《なが》です。
<なが>の烏帽子(左) <どうさい>の烏帽子・装束(右) (C)写真撮影:志賀野
八戸市メイン通りでおこなわれる一斉摺り (C)写真撮影:志賀野
今年は寒波で、まさに雪の舞台の上で演じられました。厳寒の中でのえんぶり祭りには、春を待つ共通の願い、豊作の祈り、あるいは今日的な震災復興・地域の活性化の想いも込めた祭りとなっています。
居酒屋の亭主、石岡ヨシノリさんは「門付けで店に訪れるえんぶり組が店内で摺るとき、烏帽子の太夫の舞によって一陣の風が起こる、この時、私は春の季節の到来を感じる」とのべています。
この祭礼は確実に季節の実感を持って市民に根づいているのです。
「八戸ポータルミュージアムはっち」での展示(紙の芸術) (C)写真撮影:志賀野