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試される文化芸術のチカラ10  ~コミュニティー・ダンス「自分発見の旅」

東北文化学園大学総合政策学部教授 東北大学特任教授(客員)
志賀野 桂一

「ツグミ」ダンス公演 於:せんだいメディアテーク (C)撮影・提供JCDN


 コンテンポラリーダンスの観方は千差万別、どう観たら良いのか分からない、しかし、型のない、オリジナル?奇妙な所作、感じるままに観てよいというのがルールなのです。
 出演者も米国で勉強しカッセル州立劇場ソリスト契約といったプロのダンサーから、全くダンスの教育も受けていないお年寄りや主婦のダンスまでが渾然一体となってプログラムされているのが[踊りに行くぜ!]のコンセプトです。
 ジャパン・コンテンポラリーダンス・ネットワーク(略称JCDN)代表の佐東範一さんや、アートディレクター水野立子さんによって行われているこの運動は、今や全国各地で行われるようになり、私はJCDNが日本のダンスの民主化・民衆化に寄与していると言ってもよいと思います。
 ここ、仙台のメディアテークで、「リージョナルダンス・クリエーションプログラム」が組まれました。方法は、(1)公募で作品を選考する、(2)新作アイディアの公演プレゼンテーションをした後、(3)アーティストを選定する。こうした方法で、オーディションで選ばれた地域の素人が22歳から75歳の10名が出演しました。
 村本すみれ作品、タイトルは「ツグミ」。仙台の周辺の様々な場所でのロケーションによって制作された映像と、言葉で言えないことをさらけ出す舞台上での出来事が混然と交じり合う舞台となっています。プロの振付師の村本すみれさんは、「今回の作品のモチーフは鳥で、群れや集団で生きていくこと、それぞれが求めあい、ひき離し、混じり合う、その困難さと自由さ、そして、鳥が毎年同じ地に飛び立つこと。(それが)相手の機微を感じることと、自分をさらけ出すこと、私達が今自由になるために、自分たちの生きる場所を求めて(いくことが、鳥の)飛び立っていく様(と同じに見える)。」(*()内は私が書き加えた部分)
 地元の季節感のある情景と、映像のダンス、舞台上のダンスが溶け合って不思議な作品に仕上がり、私は何より年配ダンサーの躍動が印象深く感じました。
 ダンスは言葉が要らない身体言語の世界ですが、その抽象性の中にも言葉を超えた多弁なコミュニケーションが交わされていることが見受られます。
 ダンスは、年齢・性別・国籍を超えた優れたコミュニケーション芸術といえます。しかしながらコンテンポラリーダンス(現代舞踊)は、バレエやモダンダンスと異なり特に地方ではなじみが薄い舞台芸術です。
 吉田都や熊川哲也のバレエは人気ですが、天児牛大(あまがつうしお)「山海塾」など世界的であっても舞踏(butoh)はマニアックな世界にとどまる。現代舞踊といえばウィリアム・フォーサイス、ピナ・バウシュといった名があげられ敷居が高い芸術分野のように見られがちです。最近の金森穣(Noism)、近藤良平(コンドルズ)、黒沢美香、矢内原美邦(ニブロール)、森山開次などの活躍もあり、コンテンポラリーダンスは次第に身近になってきたとはいえ、鑑賞の対象としては見慣れない人にとって最も心理的に遠い舞台芸術かもしれません。まして自らが参加する世界とは想定できなかったのではないでしょうか。


代表の佐東範一さん(中央)        ダンス参加者との談笑 (C)撮影志賀野


 しかしJCDNの活動によって、ダンスの可能性を広げるとともに、ダンスの新しい地平を切り開いてきたと言えます。代表の佐東範一さんにお聞きすると、英国で犯罪をおかした若者の更生教育メソッドとしてダンスが取り入れられているといいます。このお話の中で私が心にとめたエピソードは「しっかり止まる」静止することの重要さ、動くためには止まらなければならない。この当たり前の所作ができない若者が多いというのです。更生のダンスはしっかり静止するトレーニングから始まります。ダンスの向上とともに若者の精神が立ち直っていく過程がVTRで紹介され感動しました。
 また、人生ある一定の時にしかできないダンスも紹介してくれました。「ママダンス」「パパダンス」というものです。子供や赤ん坊を抱いて踊るという単純なもので、皆一様に笑顔で踊っています。大勢の観客に見せるものではないかもしれませんが、魅せる表情がそこにありました。これは参加者にとって、後から振り返れば人生の奇跡的瞬間を切り取ったパフォーマンスとも言えます。
 さらに、被災地支援のダンスに関しての話です。多くの芸術家が震災地への慰問公演を行いました。中には押しつけがましい公演もあったと聞きます。JCDNの方法論はダンスの専門家として、各地に伝わる民俗芸能の振り付けを地元の踊り手に習ってくるというプロジェクトです。称して「習いに行くぜ!」 。つまり「悲嘆にくれる被災地の人々へ施しを与える」という固定観念から解き放たれて、自分たちの存在意義を見失いつつある人々に、その土地の文化を再確認させ、伝わる芸能の潜在能力を引き出すことで成り立つ支援のカタチです。私は、これは新しい方法論だと感じました。
 東北は神楽・獅子踊り・鹿踊り・剣舞など芸能の宝庫です。舞踏の発祥も東北です。身体表現のプロフェッションが踊りを身体で採取する試みは、もっと喧伝されてよいのではと思った次第です。

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