【震災から3年】いつまでも忘れない ~いま大切なのは、つづける“わ” Vol.5~ 『巨大絵画が繋いだ東北と神戸』
加川広重
私は十数年前から故郷の宮城県蔵王町で大画面の絵画を制作し発表する活動を行ってきました。地震発生時に仙台市にいた私はその二日後、海沿いに住んでいた行方不明の親戚を捜索に仙台空港方面に向かいました。その時に見た景色はあまりに壮絶で、今も目に焼き付いています。
震災から3ヶ月ほどが過ぎ、絵を描く余裕ができると、「今ある生々しい感覚が薄れていってしまう」という思いにかられるようになり、震災をテーマに巨大画を描き始めました。
■『雪に包まれる被災地』、『南三陸の黄金』の発表
『雪に包まれる被災地』2011年制作 紙に水彩 高さ5.4m×幅16.4m
船が陸に乗り上げ、建物が流され、家屋に流木が流れ込み、壊れた天井からは雪が降り積もる・・。そんな状況を目にした時の精神的喪失感を、あの日の雪景色の中に描きました。
【画面中央部拡大図】津波に流される無数の家屋を地面に小さく描いています。
『南三陸の黄金』2012年制作 紙に水彩 高さ5.4m×幅16.4m
震災から一年半経過した被災地の現状を描く為、2012年9月に南三陸町を訪れました。町が消失し、建造物の基礎などの瓦礫だけが残り、それを雑草が覆い隠していました。
夕暮れが近づき風景が光に包まれた時、黄金色の状景が浮かび、それがこの作品の元となりました。辺り一面光り輝いている状景に、この土地本来の美しさと、故郷再生への希望を表現したのがこの作品です。
【画面右部分拡大図】ショベルカーや瓦礫など、当時の様子を表現しました。
巨大画の制作以降、私の頭にあるアイデアが浮かんでいました。
巨大画は観る人に、その場にいるような臨場感を感じさせることができる。それは強烈なリアリティを持つ舞台背景になるのではないか。震災を表現してきた沢山のジャンルのアーティストを集め、巨大画とコラボレーションすることで、芸術的復興イベントができないか。
■アーティストたちが想いを表現するプロジェクト『かさねがさねの想い』
『かさねがさねの想い』2012年8月17〜19日 せんだいメディアテーク 宮城三女OG合唱団
『かさねがさねの想い2』2013年8月16〜18日 せんだいメディアテーク
このイベントの為に作られた詩劇『心の駅』
ソプラノ松岡万希(神戸より参加)、ピアノ高橋侑子 福島の詩人和合亮一の詩に曲をつけ発表
来場者は計4千人を越えました。
計2回行ったこの企画には、総勢100人を越えるアーティストが無償で快く出演を引き受けてくださり、それぞれの想いを表現しました。
『かさねがさねの想い』は被災者を癒すイベントではありませんでした。芸術表現はストレートに感性に届くので、鑑賞者にとってより近くに震災を感じてしまう体験になったと思います。
しかし会場には不思議な一体感が生まれていました。来場者の中には沢山のことを思い出され、涙される方も多数いましたが、会場を去る時には明日からの決意に満ちているようでした。芸術作品は観る者の心に、何らかの感情が自発的に生まれる「機会」を作ります。被災者が芸術を通して震災と向き合うことで悲しみを乗り越え、内側から活力が生まれたのだと思います。
そして会場で一番多く私が聞いたのは「この絵を各地へ運んで、震災を伝えてほしい」という声でした。
個人でできることの限界に直面していた時に「かさねがさねの想い」の会場を訪れたのが神戸の島田誠さんでした。島田さんは95年の阪神・淡路大震災後、神戸の芸術復興のため「アート・エイド・神戸」を立ち上げるなど、神戸の芸術活動に貢献されてきた方でした。
島田さんは会場を訪れた時のことを次のように振り返っています。「その巨大さとメッセージ性から『ゲルニカ』を想起しました。『ゲルニカ』はプラド美術館別館とその後移されたソフィア王妃芸術センターで観ていますが、名画を観るという感じで『わがこと』とは感じられなかったのですが、加川広重の巨大絵画にはいきなり心を鷲掴みにされ、私もまた『わがこと』としての天命を感じ、何の当てもないままに、初対面の加川さんに『神戸で展示したい』と伝えたのでした。」
ここから巨大絵画は仙台を出て、様々な人々を巻き込みながらプロジェクトは進んでいきます。この出会いがなければ、描いた絵はその後ほとんど展示できないまま倉庫に眠っていたかもしれません。
■ 2つの被災地を結んだプロジェクト『加川広重巨大絵画が繋ぐ東北と神戸』
『加川広重巨大絵画【雪に包まれる被災地】が繋ぐ東北と神戸』
2013年3月20〜31日 デザインクリエイティブセンター神戸KIITO
ジャズピアニスト板橋文夫
2度行われたこのプロジェクトは、「かさねがさねの想い」を更に発展させ、出演者のみならず、市民、企業、神戸市、兵庫県を巻き込んで、大規模に開催されました。総来場者数は約8,800人。阪神・淡路大震災を経験した地であることがこのプロジェクトを実現させた大きな要因ですが、関わった全ての人が真摯に震災と向き合おうとしたからこそ実現したのだと思います。
『加川広重巨大絵画が繋ぐ東北と神戸2014』2014年1月5〜17日 デザインクリエイティブセンター神戸KIITO
藤田佳代舞踏研究所『届ける〜東北の地震と津波と原発事故で亡くなった数限りない命たちへ〜』
対談『東北の復興、福島の復興と日本の明日』
中央:赤坂憲雄(学習院大学教授、福島県立博物館館長)、右:高村薫(作家)、左:島田誠
『天ノ花 宙ノ風』舞踏カンパニー今貂子+倚羅座
『3.11から1.17へ〜若者たちが語り合う震災と未来〜』
神戸大学、神戸学院大学、関西学院大学などの東北へ志縁を続ける学生
スタッフの一人は「(阪神大震災により)神戸で傷ついた人間として、このプロジェクトに関わることによって自分の傷が癒されていると感じた」と話していました。
仕掛人の一人でもあった元神戸市企画調整局の衣笠収さんはこう言います。「このプロジェクトは、単なる展示の場やパフォーマンスの場ではなく、鑑賞の場でもありませんでした。言うまでもなく東北について考える「機会」となったことが何よりも重要であったと思います。そのことは、単に東北にとどまらず、これからの日本や世界をどう考えていくのかということにつながっていました。」
2014年1月17日朝 阪神・淡路大震災追悼式典
『巨大絵画が繋ぐ東北と神戸2014』は、阪神・淡路大震災があった1月17日に合わせて行われました。
とても19年の歳月が経過したとは思えないほど、会場は深い悲しみに包まれていました。
朝5時46分に神戸市役所前の広場で行われた追悼式に合わせて展示会場も開かれ、歩いて5分ほどの会場にはたくさんの人々が足を運びました。
そこは2つの震災が時間を越えて重なり合い、1つの空間で悲しみを同時に、感覚的に共有することができる祈りの場となっていました。
■第3作『フクシマ』、そして『加川広重巨大絵画が繋ぐ東北と神戸2015』
『フクシマ』2014年制作 紙に水彩 高さ5.4m×幅16.4m
2013年の秋、原発事故の影響で居住が制限されている福島県大熊町、富岡町、浪江町を訪れ、2年半もの間人が住んでいない町、荒れ果てた田畑、津波の被害全くそのままの状況などを見ました。宮城、岩手で震災の被害を見てきましたが、全く異質で、不気味な問題が解決しないまま存在していることを肌で感じました。
現地の方のお話しを伺う内に、なんとかその怒りや悲しみ、そして汚染された大地や水、自然の怒りのようなものを表現したいと思うようになり、作品のイメージが出来上がっていきました
【画面中央部拡大図】牛や除染の袋などを原発建屋の中に描いています。
『フクシマ』は、福島第一原発の建屋に汚染された土や水のイメージ、人が住まなくなり雑草が生い茂っている様子、牛、イノブタなどを描くことで、福島が遭遇している悲しみを総合的に描こうとした作品です。
2015年1月9日から18日に、3回目となる『巨大絵画が繋ぐ東北と神戸2015フクシマ』が行われます。『フクシマ』を展示し、さまざまな構成要素を組み合わせた8日間のプロジェクトです。
【プロジェクトのHP】http://www.kagawaproject.com/
■プロジェクトはフランスへ
巨大絵画は観客を空間ごと取り込み、強い当事者性を感じさせながらそれぞれ自身の出来事に変えます。私は巨大絵画を様々な場所へ運び、そして現地のアーティストたちが媒介になって、被災地と各地を感覚的に繋ぐことができると確信しています。そこは創造の場であり、祈りの場となるでしょう。
プロジェクトは更なる広がりを見せ、2016年3月11日、震災5年の節目にフランスでの展示も決定しました。巨大絵画は海を越えて東北とフランスを繋ぎます。どこにでも運んでやるぞ、と心に決めています。