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【震災から3年】いつまでも忘れない ~いま大切なのは、つづける“わ” Vol.6~ 『次の時代に伝えるための、記憶と記録について考える小さな旅。』

仙南芸術文化センター えずこホール 所長
水戸 雅彦

 


 2014年11月22~23日「今もう一度、見て、聴いて、カンがえる。忘れないための被災地キャラバン」を開催した。宮城県内の沿岸部被災地をアーティストと巡りフォーラムを開催するという内容である。主催は、宮城県、みやぎ県民文化創造の祭典実行委員会、東京都、東京文化発信プロジェクト室、えずこ芸術のまち創造実行委員会。コースは以下の二つ。

●Aコース:南三陸・女川震災遺構キャラバン
【アーティスト:小山田徹、鶴見幸代 ナビゲーター:吉野さつき】
 保存か解体かさまざまな意見に揺れ続ける震災遺構。私たちは後世に、何を残し何を伝えていくのか。遺構の前に立ち、そこに住む人々の声に耳を傾け、「未来への記憶と記録」について考えます。

●Bコース:雄勝法印神楽ダンス・キャラバン
【アーティスト:藤浩志、マルチナス・ミロト ナビゲーター:佐東範一】
 時代を超えて連綿と引き継がれる民俗芸能は、地域の誇りであると同時にそこに住む人々のアイデンティティそのものである。震災後、地域の人々が最も切望したのは、民俗芸能と祭りの復活であった。踊り手の話を聴き、踊りの手ほどきを受けながら、地域に根差して生きる意味と、地域の未来について考えます。



白でも黒でもない虹色でしょ!
 一日被災地を巡り、翌日開催したフォーラムでは、濃密な体験の後の豊かで凝縮したたくさんの話が語られた。アーティスト、ナビゲーターの感想、意見要旨は下記のとおりである。

鶴見 :一番驚いたのは生き残った人たちの元気。観光協会の語り部の阿部さん、おちゃっこクラブの岡さん、南三陸町の高橋家の漁師の皆さん。なんでそんなにと驚くほどすごい生きるパワーを持っていて、かえってこちらが元気を頂きました。それと「身体の五感を大事にしないと死につながる」「おじいさんおばあさんが何があっても生きられる術を知っていた、それを教わったという事でぜんぜん頭が上がらない」そうした老人、子ども、孫、都会でこそそうした世代間交流をどうしていったら良いのか、という部分で何か文化や芸術の力は活きていくだろうと思います。そして、遺構のこと、見た瓦礫のこと、どう残していったら良いのか。これはすごく人の想いがこもったところなので、あのままではなくても何かしらの形でみなさんの想いを続けられる供養の、弔いの場として残していくというようなことを考えていければ良いのではないかと思いました。もうひとつ、自然の猛威と美しさ。女川、南三陸町、すごく美しい所で、いままで何で旅行で来なかったんだろうということを後悔するくらい良かったんです。全国の皆さんにも、東北の美しさ良さというのを一緒にアピールしながら、こうした問題についても考えていけるように活動できていったらいいなと感じました。


 女川町立病院のある高台から女川湾を望む。復興が急ピッチで進められている。


 コミュニティカフェ「おちゃっこクラブ」の岡さんから興味深いお話をいただく。


小山田 :どの出会った方々もすごく嬉しそうに自信を持ってお奨めしてくれるものを持っているというのは、とんでもなく幸せな状況だと思います。古来ずっとそういうもので生計を立ててきて、そういうもので文化が成り立ってきた地域がたまたま被災して、そういうところが復興に際して、老人の知恵もあり、あらゆるものを自分たちの地域で持続的に作れるものを作ってきた人々がいる地域というのは強いんだと思うんです。私たちは直接こういう被災地とか様々な地域と関係を作りながら、持ち帰るものがたくさんある。自分たちの地域でどう未来をつくっていくべきか、もしくは明日からの自分たちの生活をどう変えていくかというヒントを考えるということが、この未曾有の自然災害に対して私たち全員が取り組めることなんじゃないかなと強く感じました。それと、「美味しい」というのは、もうすごいことなんだと。人に食を提供したり、いろんな場を紹介する時に、本当に心の底から自信のあるものというものをお奨めできる地域を、自分たちが獲得したいというのが今回の大きな印象です。それと美味しかったりすると顔と顔のつながりってすぐできるんですよね。個人の顔が見えるというのは、ひじょうに大事なことです。だから可能な限り顔の見える関係を作るというのが必要で、その為には身体を使ったり、食べたり、五感というものを通じての企画作りというが絶対必要じゃないかなと思っています。


 女川観光協会の阿部さんから、映像、写真、数字、そしてご自分の被災体験を交えて臨場感の溢れるお話しを聴く。


 


マルチナス・ミロト:まず一つは大川小学校を見てすこしトラウマを感じました。二つ目は精神的なもの。それは神楽に触れて、精神的なものをすごく感じました。神楽の踊りを経験したことによって貴重なものを得ることができました。芸術作品の中には精神的なもの、トラウマ的なものも出てきます。その中で私はトラウマを受けて内面にある精神的なものと向かい合ったアーティストはどのようにこれから作品を深めていったり、作っていったりするのだろうかという問いが湧きました。というのも、アーティストであるからにはトラウマを克服して、より精神性の高い作品を作っていくというのが課題になっていくと思います。たぶん大川小学校については外から来た方が見られて、こんな大変なことが起こったのではないかと見る場所としては適当ではあるとは思いますけれど、トラウマを生じさせるという意味においては残すべきではないと考えています。最後に大川小学校を残すべきかどうかについては、他所の人があれこれ言うのではなくて、その地元の人たちの考えを優先すべきだと思います。


藤浩 :いろんな意見があるんでしょうけれど、アーティストの立場というのは、白か黒かといったときに、そうじゃない色の答えを出す、というのがあって。通常一般的には、グレーって言っちゃうのかもしれないですけれど、僕らが答えを出すとすれば「虹色だ」と言う、「白でも黒でもない虹色でしょ!」と言う。混ぜればグレーになるんだけれども(笑)。そういう答えの出し方をしたいな。そういう意味ではたぶんそういうケースバイケースで、勝手に僕が妄想で話をすれば、女川の横に倒れた建物といのは土の中に埋めちゃうという、土が分解してくれるという、千年残す、千年後の人たちが発掘できるような状態を作るというような、木でそのまま山にしちゃう、もっこりした山ができる。中に建物が入っているぞ、みたいな。古墳みたいな。そういうのありかなと。もうひとつの防災庁舎の方は、あのフレームを残しつつ全く新しいフレームをそこの中に組み込んで作ってリノベーションしてしまう。一見新しいものなんですけれど、そこに古い防災庁舎のフレームがそのまま残っているような、完全にかぶせちゃうような、そういうリノベーションの作り方もあるのかなと。これはまったくの虹色の回答じゃないかなと思って。これは、絶対に残すか壊すかという話じゃない、という風に持っていきたいのが僕らの発想の方法かなと感じています。


 南三陸町寄木の高橋家の方々から、さまざまな地域に根差した生き方についての話を伺う。


吉野 :年内には解体されてしまうような震災遺構、保存かどうかで揺れているもの。特に防災庁舎とか、どういう経緯で建ち、どんなことがあったのか、そういうこ とも含めてのいろんなことが見えたというのと、いま海がもうだいぶ回復してきているという話、いろんなものが流れた後に若返って、むしろ今まで生えていな かった昆布が生えはじめたり、瓦礫が魚礁になりはじめていたり、自然が元々持っている回復力のすごさというのは人間の想像力を越えるんだなという話があり ました。それと、今回「忘れないために」というタイトルがついていますが、いろんな意味で文化とか芸術、見たくないものでも見なくちゃと思うようなことと か、忘れたいけれど忘れちゃいけないこととかいろんなものを可視化してくれたり、それから違う形でその体験の中で何かをつないでくれたりする重要なもの じゃないかと思います。この企画で、ここにいるみなさんとこういう風に話せる時間ができたこと、いろんな人と会えたことも、これがなかったら会っていない んです。なのでこういう風に森さん(東京文化発信プロジェクト室)が言った「現場に行き、現場で考え、現場で語る」その為のこの時間、こういう企画は1回 で終わっちゃ駄目な気がするんですけど続きはないんでしょうか、と思っています。


佐東 :この2年ぐらい地元の郷土芸能を習うというのをやっていて、ようやくなんかこう被災地に来たとか、何か支援に来たとか、何かに来たというよりも、完全に 会いにきている感覚で、例えば昨日法印神楽を少しだけ習わせて頂いて、そうしたら次見る時に見る目は違うと思うんですね。「ああ、あの足の運び」上手い な、とまでは見えないけれども。そういう形で、神楽とか郷土芸能があることによってなにかこう関係性が全然変わったというか、僕たちが教えを請うて、なん かこんなすごいものがこんなにいっぱいあるところというのは、食べ物もそうだと思うんだけれども。僕にとって震災があったというのは、人生においての新し い世界に出会えたことというのがすごく多くて、面白くて面白くて来ている、というすごく大きな出会いだったと思うんです。


 雄勝葉山神社でお祓いを受ける参加者


 法印神楽のお面と衣裳をつけて、お面をつけると視界が極端に狭くなる。


 *各発言要旨は、抜粋編集したものです。文責:水戸雅彦


 


何を記録し、何を伝えるのか。
 何を記録し、何を伝えるのかは常に歴史の課題である。記録は、いつも生き残った者、あるいは勝者の側からの視点と思惑によって編集されている。それらを読み解くには、生き残らなかった者、敗者、あるいは無言の当事者に対して思いを馳せ、聞き耳を立てることがとても重要である。マスコミその他のメディアに流れる情報は、さまざまな文脈で語られているから、一度ニュートラルな視点に立ち返って、もう一度ひも解いてみることが大切なのではないかと思う。それは、言い替えれば「現場に行き、現場で考え、現場で語る」ことであり、震災について言えば、「被災地で時の流れを振り返り、その地の人たちの話を聴き、その地で当事者の立場に立って考えること」である。忘れないための被災地キャラバンは、そのような意図のもとに企画、実施したものである。参加者にとって、それまでに持っていたイメージとは別な、新たなパースペクティヴが広がったとすれば、この事業の目的は達成されたと言える。しかし、もっと重要なことは、今回の経験を踏まえて参加者一人一人がどこに向かって一歩を踏み出すかである。すべての道は開かれている。


 フォーラムの様子、現地で見て聴いたさまざまな余韻の中熱い話が展開された。


 


*現在、忘れないための被災地キャラバンの記録集を制作中です。無料配布いたします。4月以降、えずこホールにお問い合わせください。

コラムをまとめて読む場合は、下記からご覧ください。

プロフィール

仙南芸術文化センター えずこホール 所長
水戸 雅彦
1956年宮城県生まれ。1996年仙南芸術文化センター(えずこホール)オープンと同時に事務局次長としてホールの管理運営、事業の企画制作に携わる。以後17年間、住民参加型事業、アウトリーチ事業を中心に地域密着型の各種事業を積極的に展開。現在、仙南芸術文化センター所長。2004年「えずこ芸術のまち創造事業」が内閣府から地域再生計画の認定。2007年えずこホールが財団法人地域創造JAFRAアワード(総務大臣賞)受賞。宮城県文化芸術振興審議会委員。

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