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レポート
『ふるさとの祭り2014』に参加しました。

イベントレポート
事務局ブログ

 10月4日、5日の2日間に渡り、福島市で開催された『ふくしまから はじめよう。「地域のたから」伝統芸能承継事業 ふるさとの祭り2014』に参加してきました。


 『ふるさとの祭り』は、東日本大震災の影響で危機的な状況にある民俗芸能の存続を後押しすることを目的として開催されるイベントです。
 震災・東京電力福島第一原発事故後に担い手が各地に避難し継承が困難になっている浜通り、および福島県内各地の民俗芸能保存団体21団体が出演し、田植踊など古くから続く民俗芸能のステージ公演のほか、伝統芸能の体験コーナー、伝統工芸の創作コーナー、ご当地グルメコーナーなどを同時に開催するなど集客にも工夫をこらし、お祭り広場を創出していました。


 披露された芸能をいくつかピックアップしながら、当日の様子をご紹介します。


 初日の10月4日、最初に披露された民俗芸能は福島市の『金沢黒沼神社の十二神楽』です。 県指定重要無形民俗文化財として伝承されて4月3日・4日の(現在第一土、日曜)黒沼神社の祭礼に奉納しています。
 「剣の舞」というお祓いの舞の後に、三人がお互いの刀の先端を持って一体となって回転しながら舞う「三人剣」という舞が披露されました。ドキドキ感のある舞で、昔は本物の刀を使用していたので、三人揃わないと怪我が多かったとのこと。


 次に拝見したのは、双葉町の『山田のじゃんがら念仏踊り』です。じゃんがら踊りはいわき地域に多い芸能ですが、大熊町、双葉町、茨城でも新盆の供養として仏前で踊られるようです。双葉町のじゃんがらは謡が無いのが特徴です。
 踊は「十三仏」と「念仏踊り」があるものの、会員が県内外に避難したことから震災の年は中止、翌年仮設住宅で披露し、その後「ふるさとの祭り」2012、2013にも出演しました。
 踊りを守っている「山田芸能保存会」は、震災によって会員が郡山や山形に避難しており、稽古が大変な状況にあります。それでも、小学2、3年生が参加しており、若い後継者がいることに頼もしさを感じさせられる踊りでした。


 南相馬市の『北萱浜天狗舞』は、江戸時代に飢饉があり、石川や越後から入植した人達が悪霊を祓うために天狗舞を舞ったことから始まったものです。一般的には獅子は“神様”なのですが、ここでは、悪霊となり天狗が祓う舞となっています。
 震災では、天狗面や衣装までも流され、保存会の会長さんもお亡くなりになったそうです。現在、保存会の会員はバラバラに生活していますが、天狗舞を踊ることで、地域の人々の心が一つになっています。保存会の皆さんにお話を伺うと、「福島県内でも珍しい天狗舞なので、支えとして地域の復活につなげたい」とおっしゃっていました。


 いわき市の『上平子供じゃんがら』は、約350年前に沢村勘兵衛の一周忌供養から念仏興業として始まったもので、子供も保護者も熱心に稽古をして、お盆の供養も行っています。
少子化が進んでおり、地区子供会が160人から32人に減少して子供の確保が課題になっていて、毎年学校の運動会でも披露し、継承活動に力を入れているのだとか。子供ながら、洗練されていてとても上手でした。


 双葉町の『新山の神楽』は150年以上の歴史がある神楽で、黒獅子は彫が深く、型も古い、複数の舞子が入って舞い勇壮で軽快なのが特徴です。四隅の邪気を払う舞で、1年の家内安全、無病息災を願い、厄を払っています。
 震災により保存会のメンバーが各地に避難し、存続が危ぶまれましたが復活し、いわき市のイベントに参加、今回が2回目お披露目となったそうです。「こうして大勢の方から観ていただいて嬉しい」とおっしゃっていました。


 浪江町の『室原の田植踊』は、農民が豊作を喜び合い、五穀豊穣・家内安全、繁昌を願って踊られ、鬼(悪霊)を祓う「種まき踊」、男が早乙女となって踊る「田植踊」、収穫の石高を量る踊り「石高はかり」と種まきから収穫まで三つの構成で出来ています。
 浪江町は放射線量が高く、ほぼ全域が警戒区域で全町民が県内外に避難しています。芸能の諸道具や衣装は汚染されてしまいましたが、文化庁と県からの補助金で諸道具や衣装を整え再興し、「ふるさと祭り2012」で復活を遂げました。
 保存会の皆さんにお話を伺うと「田植踊を無くしたら地域が無くなってしまう。町へ帰れないので、集まって練習することは大変であるが、地域の皆さんの力になればと伝統を守っている。」とおっしゃっていました。


 南相馬市の『村上の田植踊』は、北時代に義良親王が当地に逗留した折に始まったと言われる田植踊です。
 一時中断を繰り返し、昭和22年に再興し、婦人が中心に踊っています。田植え踊の保存会員39人のうち、会長、副会長を含む12人が津波で亡くなるという大変な状況の中、先人の意を継いで翌年復活させ、「ふるさとの祭り2013」や国立劇場の民俗芸能公演「東北の芸能Ⅲ」への出演を果たしました。芸能化された田植踊は、洗練されたとても美しい踊でした。


 翌日、「ふるさとの祭り」2日目も大勢の観客が訪れていました。あいにく、秋晴れとはいかず、途中小雨も降りましたが、それでも多くの観客が残り賑わいは途切れませんでした。


 2日目のトップバッターである、飯舘村の『比曽の三匹獅子舞』は、力強い演技が売りの華やかな獅子舞です。350年の歴史を持ち、天明の飢饉の後、飯舘村の人々が地域の復興と平安、豊作を願って始めたと言われています。震災後の飯舘村は、全村避難になるほど、非常に線量が高く、伝承する子どもたちも各地へ避難しています。持ちだした衣装や道具の保管場所の問題や、避難先での練習場所の確保が難しい等の困難を伴う避難生活を送りながらも、芸能の復活のため、イベント等への招待に積極的に参加しています。
 力強く、願いや祈りの念が伝わる舞に、心奪われました。


 南相馬市の『烏崎子供手踊』は、鹿島区江垂に鎮座する日吉神社の浜下り神事に奉納される子供が主役の踊りです。
 保存会のある烏崎集落は津波で壊滅的な被害をうけ、手踊の衣装や道具などすべてを流失しましたが、衣装や道具一式の支援を受けることができ、昨年9月に開催された「ふるさと祭り2013」への参加をきっかけに、保存会を結成、復活しました。
 今でも、保存会メンバーは各地へ避難しているので、親御さんは、避難先から車を30分以上走らせ、夜の練習会場へ子供たちを送っているそうです。「続けたい」という子供たちの意志と、子どもたちの家族の協力と理解があったからこそ、保存会の復活が実現したのでしょう。独特の手の振りが可愛らしい、子供手踊でした。


 双葉町の『前沢女宝財踊』は南北朝の争乱の際、霊山城から逃れた北畠氏の重臣・真野五郎元家ら12人が旅芸人に身をやつし南相馬市鹿島の江垂に落ち延びたストーリーを踊りにしたと言われています。宝財踊は本来男性が踊る芸能で、女性だけで踊るというのはとても珍しいようです。
 公演終了後お話を伺うと、「各地へ避難し離れ離れになってしまった保存会のメンバーと、震災の混乱が落ち着いた時に再会を果たせた時、ここで保存会を解散したら、もう二度とみんなに会えなくなるのではないかと思い、宝財踊を続けようと決めました。」と当時の心境を聞くことが出来ました。
 会員が広範囲に分布する中、公演は保存会にとって、かけがえのない貴重な機会になっています。


 南相馬市の『下町子供手踊』は鹿島御子神社、男山八幡神社等で12年毎に行われる、お浜下りに奉納するお祭りとして伝承されています。烏崎子供手踊と同様、避難先から参加している保存会メンバーも多く、小学校の体育館などを借りながら、練習に励んでいるそうです。
 元々、12年に一度の奉納では伝承が難しいので、なるべく「ふるさとの祭り」などの機会に参加し、子供たちが踊りを続けられるよう工夫もしていると、お話も伺えました。
 鼻に一筋の化粧をするのが特徴的で、これは面をかぶること同様に、人間ではなく“神様”として踊っているという、神聖な意味があるそうです。


 福島市の『大波住吉神社の三匹獅子舞ならびに鬼舞』は、毎年10月の大波住吉神社の例祭で奉納される9種類の舞です。獅子舞は、小学生を舞手に、中学生が太鼓、笛は保存会で構成され、その昔、地区内に流行病が出て息災を願い祈祷したのが始まりだと言い伝えられています。
 大波地区は福島市の東側に位置し、原発事故以降の線量が高く、自主避難などで地区外へ転校する児童が相次いだそうです。児童数が減少傾向にあった中、事故が追い打ちを掛ける形となり、ついに大波小学校は休校になってしまいました。
 芸能を継承する中で、地域の子どもの流出が一番の問題で、本来は4名で舞う獅子舞を、芸能を守るために形を変え、残った児童3名で舞えるようにしたそうです。


  『磐梯神社の舟引き祭りと巫女舞』は、磐梯町本寺地区に古くから伝承される厳かで品のある美しい舞です。幼稚園から中学生の女の児が舞手となり、「榊(さかき)の舞」、「弓の舞」、「太刀の舞」の三つの舞を奉納します。
 この巫女舞は80年もの間中断していましただが、舞を覚えていた1人のおばあさんの記憶を頼りに復活することが出来ました。そのおばあさんは、舞だけではなく歌や笛などもしっかりと覚えていたそうで、子供の頃に身体で覚えたことは、一生覚えているのだなと感じさせられます。たとえ伝統が途絶えてしまっても、その人が覚えている限り、復活の可能性は失われないことでしょう。


  『熊川稚児鹿舞』は、大熊町の熊川地区にある諏訪神社に伝わる獅子舞です。かつて熊川の地が狭窄と疫病に襲われ、平和が損なわれた際、舞を神社へ奉納し、村の再建を図ったという言い伝えが残っています。「鹿舞」と書いて「シシマイ」と呼ぶのは、全国でも珍しい相双地方特有のものらしいです。道化の猿が出てくるところもコミカルで思わず見入ってしまいました。
 県や文化庁の援助を受け、津波で流された衣装や道具などを新調し、今年の8月に、大熊町の移転先である会津若松市にある仮説住宅で鹿舞を披露し、復活することが出来ました。演じているのは2組の兄弟で、それぞれ、大熊町からいわき市、そして会津若松市に避難しています。練習するために集まることすら大変な距離ですが、それでも鹿舞を見た人が喜んでくれることが嬉しいようです。


 浪江町の『請戸の田植踊』は、豊作と大漁を祈願して神社に奉納を約300年続けてきた民俗芸能です。浪江町請戸地区は、震災による津波で350戸ほどあった集落のほとんどが壊滅的な被害を受け、田植踊の保存会にも、家族や親を亡くした子がたくさんいるそうです。
 そのような中、田植踊を復活させようと全国からの支援を受け、2011年の7月には練習を再開し、いち早い復活を遂げました。
 お話を伺うと、3歳になる女の子が新たに踊り手として参加するようになったことが、今年に入ってからの嬉しい出来事とのこと。この子は、震災の1か月余り後、避難先で生まれ、現在も暮らしているのですが、田植踊に参加する4歳上の姉の姿を見て、自然と踊りを覚えてしまい、踊りに加わりたくなったそうです。
 この小さな踊手さんの可愛らしい姿は、ふるさとの祭りの会場中に人を笑顔にさせてくれました。


 震災から3年半、「人、物、まち」など大切な宝物を失った各民俗芸能団体の皆さんが、言葉では言い表せないであろう苦しみを乗り越えて、地域の祭り、民俗芸能を復活させ、元気に舞、踊っている姿に目がしらが熱くなりました。祭り、民俗芸能が地域コミュニティの再生に繋がっていることを改めて感じることができた催しでした。

イベント概要
イベント名 ふくしまから はじめよう。「地域のたから」伝統芸能承継事業 ふるさとの祭り2014
開催期間 2014年10月04日(土)~2014年10月05日(日)
各日 10:00~16:00
エリア 東北エリア(宮城県)
開催地 福島県
会場 四季の里(福島市荒井)
料金 無料
問合せ先 ふるさとの祭り実行委員会 福島県文化振興課内 TEL: 024-521-7154 e-mail: bunka@pref.fukushima.lg.jp
主催 福島県
ふるさとの祭り実行委員会

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