ご覧のページは、これまでのコンソーシアムのホームページを活用し、コンソーシアムの活動記録や資料等をアーカイブ化したものになります。

「音楽の力」による復興の取り組み

酒井健太郎・赤木舞
昭和音楽大学
一般財団法人音楽の力による復興センター・東北(以下「復興センター」)と公益財団法人仙台フィルハーモニー管弦楽団(以下「仙台フィル」)は、震災直後から被災した方々に音楽を届ける取り組みを続けている。復興センターの代表理事と仙台フィルの参与を務める大澤隆夫氏へのインタビュー(2013年2月実施)をもとに、音楽の力を活用した復興の状況をレポートし、今後の課題について検討する。

復興コンサートの開催と復興センターの設立
2011年3月26日、仙台フィルは震災後初めてのコンサートを開いた。会場は仙台駅からほど近い見瑞寺の境内にあるバレエスタジオで、1時間ほどのプログラムであった。演奏メンバーは団員約30名で、指揮(佐藤寿一氏)とソプラノ独唱(菅英三子氏)は地元出身の音楽家が担当した。これが、その後270回以上おこなわれ、これからも続けられる復興コンサートの最初である。

第1回復興コンサート(撮影:佐々木隆二)


 震災発生から約2週間が経過したこのころ、いわゆる自粛ムードが拡がりつつあった。音楽業界も例外ではなかったが、そうした状況下で仙台フィルが復興コンサートを実施できたのは、仙台フィル自身が被災者であり、被災した人々と同じ目線の高さに立ち、被災した地域が何を必要としているか理解できる立場にあったからである。
被災した人々の前で演奏することが本当に必要とされているのか、不安がなかったわけではない。実際に楽器と楽譜を携えて避難所を訪れても、必ずしも歓迎されるわけではなかった。しかし演奏を始めると、段ボールの陰には音楽に耳を傾ける人がいることが感じられた。震災以降こわばったままだった表情が、演奏を聴いてようやく和らいだという人もいた。被災者に寄り添い、折れそうな心を支える力が音楽にはある・・・この確信が被災した地域に音楽を届ける活動の根本にある。
音楽を被災した地域に届けるためには、被災地へのアクセス手段、演奏スペース、世話してくださる人手などを確保し、現地のニーズを把握しなければならない。またニーズにマッチする音楽家の協力を得なければならない。こうした現場では、コーディネート、マネジメントを担う人材が必要である。そのためにはもちろん資金も必要である。そこで情報収集、人材の確保、資金集めなどのコーディネートとマネジメントのための組織として「音楽の力による復興センター」が立ち上げられ、仙台フィルのホームページに同センターの設立の案内と協力の呼びかけが掲載された(2011年3月28日付)。
大きな余震が続く中、仙台フィルと復興センターは被災地に音楽を届ける活動に取り組む。4~5月には1か月半近くに及ぶマラソンコンサート、4月中旬からは避難所や学校での訪問演奏を開始し、当初は定期公演が予定されていた日程に会場を常盤木学園シュトラウス・ホールに移して「復興定期」(4、5、6月)、を開催した。全国から仙台フィルに招聘の声が届き、金沢、東京、新潟、大宮、大田区でのコンサートに出演。そして7月には本拠地仙台市青年文化センターでの定期演奏会の再開にこぎつけた。

陸前高田市立米崎小学校での演奏(撮影:佐々木隆二)


復興センターの一般財団法人化とその事業
被災地に音楽を届ける活動を支えてきた復興センターは、仙台フィルの理事会の賛同も得て、2012年9月に「一般財団法人音楽の力による復興センター・東北」に改組された。センターの一般財団法人化を知らせるパンフレット「一般財団法人音楽の力による復興センター・東北を設立しました。」には、同センターの事業が5つあげられている。それらは、(1)復興コンサートの開催、(2)モデルコンサートの開発事業、(3)コーディネイト事業、(4)クラシックに優れた特性を持つホールの建設に向けて、(5)資金の受け入れや基金の造成で、各事業の詳細は以下のとおりである。
(1)は震災発生以後、センターが中心になって継続してきたもので、先述の通りすでに
270回のコンサートを開いてきた。被災した人々の心に寄り添う活動のいわば原点となるもので、今後も続けられる。
(2)は「宮城県新しい公共支援事業」のひとつとして採択されたもので、音楽を復興に効果的に活用するモデルの開発をめざすものである。ここまでの復興センターの取り組みそのものが、ひとつのモデルケースとして捉えられうるように思われる。
(3)は、第一に被災した地域を音楽で応援したいという国内外の音楽家たちと被災した地域との橋渡しする役目、第二に被災した地域の音楽に対するニーズを汲み取り、音楽活動を通じて復興を支援する役割である。例えば、2012年に始まり以後5年間にわたって継続されることになったウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のメンバーによる被災地域への訪問演奏・ワークショップなど(「ウィーン・フィル&サントリー音楽復興基金」による)は、現地コーディネートを復興センターが担っている。また現在、震災の影響で統廃合される小中学校の校歌を、プロのオーケストラの演奏でCDにして残す取り組みが、公益財団法人日本オーケストラ連盟に加盟のオーケストラの協力で進められている。これは石巻市の市民団体のアイディアを実現するにあたり、復興センターも協力したものである。
(4)は楽都仙台にクラシック音楽ホールの建設の機運を高めようというもの。平成24年1月9日に開かれたシンポジウム「音楽の力に本拠地を――新たな楽都の建設に向けて」(於:仙台市青少年文化センター、登壇者:堺屋太一、近藤誠一、藤村順一、大滝精一)でも、仙台を「楽都」さらには「カルチャー・キャピタル」にするための拠点として、音楽に適したホールが必要であると述べられた。こうしたホールは復興のシンボルにもなりうるだろう。もちろん建物が最終目的であってはならず、その次には中身(コンテンツ、ソフト)をどうするか考えなくてはならないが。
(5)には、今後の継続的な事業実施に必要な資金を確保するために会員制度を設けることや、音楽ホール建設の基金を造成するなどの計画がある。
一般財団法人化を機に復興センターは、被災した人々に音楽を継続的に届けること、被災地を応援する人々と被災地を繋ぐこと、さらに、仙台の復興における音楽の力を活用することにおいて、人材と資金の核としての集成・中継機能を果たすというミッションをより明確にしたと言えるだろう。

コーディネート、マネジメントの人材の必要性
被災した人々に音楽を届けたいという思いをもつ音楽家は多い。その思いをより有効に実現するためには、現地で実際に活動するためのマネジメントの諸作業に加えて、現地でどのような音楽が求められているかといった情報の収集が不可欠である。被災地域は広範囲にわたるため、こうしたことを音楽家自身が担うことは困難である。そこで求められるのが現地でコーディネートする人材である。ウィーン・フィルのメンバーが東北を訪れて演奏し、現地の人々と音楽を共有したことに勇気づけられた人は少なくあるまい。これが実現したのは、ウィーン・フィルのメンバーの思いと、それに共感する多くの関係者の尽力があったからのことである。
また、先述した、統廃合される学校の校歌のCD化のプロジェクトのように、被災した人々から音楽の力を活用するアイディアが生まれることもある。実際に統廃合される学校がある地域で生活した人々ならではの発案である。こうしたアイディアを実現するためには、発案者のほかに演奏家、出資者など多くの人の連携が不可欠ある。関係者間の調整に熟達した人材(さしあたり地元の文化施設やアートNPOのスタッフなどが考えられよう)が求められる。
活動資金の面で行政や企業などの支援を受けることがある。多くの場合、そのためにはその必要性や手段を万人が理解できるかたち、たとえば書類として表現することが求められる。復興や応援についての思いやその実現方法を、過不足なく書類に落とし込まなければならないのである。支援を受けることになれば、今度はそれを適切に使い、正しく決算しなければならない。こうしたマネジメント業務はある意味で特殊な技能やノウハウを要することであって、音楽家・演奏家に求めるのは難しいことがある。よりスムーズな実施のためには慣れた人材の協力を得られることが望ましい。
受け入れ地域で生活する人々が何を求めているか知ること、受け入れ先、音楽家、その他関係者の意思を調整すること、外部から資金的援助を受けて適切に使用すること・・・被災した人々や地域の復興に音楽の力を活用するためのアイディアの実現にはこうしたことが必要とされるが、これらを担うマネジメント人材は十分ではない。育成が急務だろう。

経験の蓄積
東日本大震災では、音楽あるいは芸術・文化が心の傷を癒すことや復興を応援するにあたり大きな力を与えてくれることが明らかになった。とりわけ音楽は聴き手に寄り添う形で届けられた瞬間に最大限の力を発揮すると考えられる。今回のような大きな災害は今後も発生する可能性がある。したがって、災害復興におけるアートマネジメント活動のネットワーク構築に向けた準備をしておかなければならない。それにおいては今回の経験を活かすべきである。
東日本大震災で被災した地域は広く、それぞれの地域での音楽や芸術・文化の活動においてマネジメントを経験した人・組織は多いだろう。規模の大小はあるかもしれないが、個々には小さな経験であっても、それらがもたらす教訓はけっして小さくないはずである。そこで、聞き取り調査などによってそうした人材の経験を集積し、関連する資料を収集するべきである。こうして集積された経験や記録を整理・分析することによって、災害復興時のアートマネジメントに限らず、広くアートマネジメント一般の在り方を考える上で参考にすべきことが得られるだろう。また、そうした蓄積は今後のアートマネジメント人材の育成に活かすことができるだろう。記憶が薄れ記録が散逸してしまう前に取り組まなければならない。

*筆者らは2011年7月にも大澤氏のお話を伺った。この時のレポートは、日本音楽芸術マネジメント学会発行『音楽芸術マネジメント』第3号(2011年9月)に掲載されているので、併せてご参照いただければ幸甚である。
コラムをまとめて読む場合は、下記からご覧ください。
ページトップへ