文化のチカラをつなげたい

前釜石市教育委員会生涯学習スポーツ課長
和田 利男

伝統文化の継承に向けた動き


 この11月22日、新たに出店したイオンタウン釜石の駐車場内に設置された特設会場で、震災後4回を数え、今年6回目を迎える「全国虎舞(とらまい)フェスティバル」が盛大に開催されました。
 虎舞は、青森から鹿児島まで11県、8市16町3村にある(1992年調査時点)と言われ、とりわけ岩手には、釜石を中心に大船渡や大槌、山田などに多く分布し、一日に千里行って千里帰るとされる虎の習性から船出する漁師の保身・安全を願い、また、踊りに使われる笹の霊力で災害防除や病魔退散、豊漁を祈願する郷土芸能です。
 この虎舞フェスティバルのオープニングを飾ったのは、前身の釜石保育園が被災し、仮園舎での保育を経てこの4月に開園したばかりの「かまいしこども園」の園児で、震災後踊り始めて5年目となった可愛らしい子虎たちが観客の笑顔を誘っていました。


 トップ画像:かまいしこども園による虎舞


 そして、初出演は「釜石小学校虎舞クラブ」です。
 震災当日は短縮授業で、いつもより早く下校し高台にある学校を離れてしまったものの、日頃の防災学習を生かして全員が安全な場所に逃げた市立釜石小学校の児童たちですが、昨年、虎舞クラブを結成して初参加し、大きな拍手を浴びていました。
 このほか、県立釜石商工高校には以前から「虎舞委員会」があり、虎舞を通じて釜石の元気と支援してくれた方々への感謝を伝えていますが、かまいしこども園や釜石小学校のように、郷土芸能を単なる踊りとしてではなく、地域の宝として保存、継承していく新たな動きがみられます。津波は集落にあるもの全てを奪い去りましたが、鎮魂供養の役割を担い復興の原動力となった郷土芸能に接することで、人々は言い表しようのない精神の拠り所、コミュニティの源泉であることに気付いたからではないでしょうか。
 出生数の減少から幼稚園や学校などが相次いで統合し、今後も引き続き人口の減少予測にあって、郷土芸能を継続していくことは大変な労力を必要としますが、改めて関係者に敬意を表します。そのご努力は、きっと実を結ぶことでしょう。


               釜石小学校のステージ上・下での舞い


進まない復興と今後の課題


 釜石市内には40ほどの郷土芸能団体がありますが、漁村集落のほとんどでは山車や太鼓、衣装などの用具、あるいは練習場、保管庫といった施設が流出し、仲間や指導者も亡くしてしまいました。中には親類縁者だけでなく、最愛の家族や自宅、職までも失うことになった方もいて、この状況は他の文化・芸術団体も同様です。
 いずれの地区でも、郷土芸能は神社の例大祭のほか、結婚式や開店祝いなどで披露され、震災後の用具の無い中、鎮魂のため唯一残された布きれだけを手に踊る団体もありましたが、全国の皆様方からの物心両面にわたるご支援を頂戴し、郷土芸能の存続危機を脱することができました。このことを、私たちは終生忘れることはないでしょう。
 一方、市内の復興公営住宅は、1,314の計画戸数に対して建設済みは423戸にとどまり、また、4,012の被災世帯のうち、再建済みは僅か994世帯で、今年も3千人の方々が寒い仮設住宅で新年を迎えようとしています。同様に、被災した事業所は、市内のおよそ54%にあたる565事業所となっていますが、その3割が廃業、転出、営業未再開となっています。
 現在、土地の買収作業とあわせて、盛り土や上下水道、主要道路等の築造工事を進めていますが、鵜住居(うのすまい)や唐丹(とうに)の小中学校をはじめ文化会館などの公共施設は建設が始まったばかりで、体育館や集会所など具体的になっていない施設も多く、被災者は将来の街の姿を描けずに再建を断念したり、一旦離れてしまった古里をあきらめ、他所で自立する方も少なくありません。
 この秋には芸術文化祭や市民劇場が開催され、12月には第九演奏会も行われましたが、郷土芸能に限らず、唄や絵画、書道、茶道、手芸など各種文化・芸術団体の喫緊の課題は如何にして仲間たちを集めるか、あるいは集落に人を呼び戻すかにあり、今後の活動の継続、ひいては文化の薫るまちづくりに影を落としています。


                 まだ続く鵜住居地区の土盛り工事


新たな活動形態の萌芽


 そのような中で、今年も「釜石よいさ」というイベントが開催されました。
 釜石よいさは、新日鉄釜石製鉄所(当時)の高炉が休止し、街が活気を失っていた1987年、地域に元気を取り戻そうと若者たちによって始められたお祭りで、「さーさ、よいやっさ」の掛け声に合わせ、虎舞をイメージした踊りで練り歩く釜石の夏の風物詩です。大震災の影響で2011年と2012年は活動できませんでしたが、若手事業者を中心とした実行委員会によって、昨年の9月に再スタートしました。郷土芸能同様に存続自体が心配されていましたが、地元の若者だけでなく、震災をきっかけに釜石に帰ってきた者、釜石が好きになって移り住んだ人たちによって実行委員会が設置され、踊りは変わりませんが組織形態から運営方法など新しい姿で復活したのです。
 このようなことは、ほかの分野でもみられ、若手経営者らによる復興支援組織NEXT KAMAISHI(ネクスト釜石)、金融・マスコミ・商社・国際協力等の経験をもつメンバーが地元と協力しながら、地域づくりを進める釜石リージョナルコーディネーター(通称「釜援隊」)などが相次いで生まれ、そして着実に根付いています。
 文化・芸術分野では、少子高齢化という従来からの課題に加え、元の集落を取り戻すことが難しいといった現実に直面していますが、真に地域を良くしようとする若者に加え、外部の視点など様々な切り口が融合して、さらに発展していくことを望むものです。


                 雨の中元気に踊る釜石よいさ


この教訓を次の世代へ


 これまで、内外からの有形無形のご支援をいただいて、市内の文化・芸術に関わる全ての団体の活動が再開され、これに押される形で被災しなかった地区の郷土芸能が復活するなどの波及効果もありました。また、様々な個人や団体との交流が促進されたことも見過ごしてはなりません。
 他方、復興までには多くの時間を要します。
 本当に人々が戻り、生業が成り立って、コミュニティが形成されるだろうか、というのが実状で、夢に見た自立再建も叶わずに今日も明日も、一人、また一人と寂しく亡くなっています。震災によってコミュニティが崩壊し、仮設住宅で培ってきた人間関係も復興住宅に転居することでもう一度断たれ、被災者が孤独に陥ってしまうことも心配です。
 文化・芸術には復興をけん引し、心の奥底を揺り動かす魂のようなものが宿っていると分かりましたが、被災者の心が折れることのないよう文化・芸術のネットワークが継続し、機能していくことが重要です。
 また、震災に際してそれぞれが行った活動や支援を受けた私たちの足跡を総括し、そして次なる災害に生かしていくことも大事です。各地では「語り部」などによって震災の状況をお伝えしていますが、それはその時にとった行動やこれまでの復興の過程を、今後予測される津波に限らず、大規模化する集中豪雨や洪水、複合化していく自然災害への対応に役立ててほしいからであり、そうでなければお伝えしていく意味が薄れてしまいます。
 どうか、もう暫くの間「文化・芸術のチカラ」を結集しつつ、今次災害の教訓を次につなげていくことができるよう希望します。

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