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【震災から3年】いつまでも忘れない ~いま大切なのは、つづける“わ” Vol.3 『アートプロジェクトとレジリエンス  ~南三陸町の現場から』

アートディレクター・演出家
吉川 由美

 


 あれから4年が過ぎようとしている。
 大津波は宮城県南三陸町のほぼすべてを奪った。私はその前年、この町の中心部でアートプロジェクトを展開していた。そこでお会いしたほぼすべての人たちが、家や仕事を失った。
 津波前の暮らしや地域の事情を知っていた私には、被災後彼らがどのような暮らしの変化を迫られているのか、どのような支援が必要なのかを、より近い位置で思い描くことができたように思う。
 これまで町に通い続けて来た三年半を振り返り、アートプロジェクトと被災した人々との関係について振り返ってみたい。


2010年夏の南三陸町志津川地区


 


2011年3月22日の同じ場所


 


■被災直後
 まず、応急仮設住宅に入居するまでの約半年の混乱期、人々はプライバシーのない団体生活の中で炊き出しや生活必需品の獲得、仕事探し、さまざまな手続きなどに追われていた。家族を失い財産を失った彼らは涙も見せず、報道陣や有名人がひっきりなしに訪れる喧騒にまみれていた。この時期に私たちが貢献できたのは、「自らに向き合う時間を創出する」ということだった。
 私たちは月命日の11日に「南三陸の海に思いを届けよう」と題して、音楽家が粛々と海に向かって音楽を捧げ、その間、みんなが黙って海を見つめる時間を創り出した。いまだ多くの人たちが眠る海、愛する人が逝ってしまった空に、そっと向き合う時間は自分自身と語り合う時間だったと思う。そして、混乱した避難生活の中、涙を流すことを唯一許される時間でもあった。(http://anpoap.org/?p=1073)


2011年5月11日「南三陸の海に思いを届けよう」


 


2011年6月11日「南三陸の海に思いを届けよう」


 


 また、2010年に行った「きりこプロジェクト」に参加したメンバーに呼びかけ、6月に「きりこ」を作るワークショップを行った。「きりこプロジェクト」とは、この町に生きる人々のエピソードを住民の手で白い切り紙にするプロジェクトだが、このときに制作したきりこには、津波や、唯一流されなかった神社などが表された。黙々と白い紙をカッターで切り抜く行為が、参加者の心を鎮めた。久しぶりに友達と語り合い、自分を取り戻す時間にもなった。


2011年6月4日久しぶりに集まってきりこを作った。


 


 7月には、STOMPに出演していた俳優リック・ウィレット氏が、子どもたちのためにボディパーカッション・ワークショップを行ってくれた。自分の身体を叩いたりステップを踏んでリズムを奏でるワークショップである。志津川小学校で行ったワークショップには、親御さんも参加した。それは、震災以降初めて自分自身の身体に集中し、また、親と子が見つめ合い心を通わせる時間になった。子どもたちはボディパーカッションが大好きになり、この年の学習発表会で自分たちが創作した作品を発表した。


2011年7月21日ボディパーカッション・ワークショップ。母子で楽しむ久しぶりの時間になった。


 


志津川小学校当時の4年生とリック・ウィレット氏


 


■仮設住宅での暮らしの始まり
 仮設住宅で各戸毎の生活が始まり、人々は新しい住居やコミュニティ、緊急雇用などの新しい環境に順応しなければならなくなった。忙しい日常の中、過去の記憶や被災して受けた「傷」に目を向けようともしなくなっていた。
 2012年の1月〜2月、町内5つの小学校でワークショップを行った。この1年間、子どもも大人も力を合わせてがんばって来たこと、たいへんだった毎日の中で小さな幸せを感じたこと、美しかった地域の姿などを振り返り、それを歌にした。「未来を歌にプロジェクト」である。プロジェクトを通して、みんなで力を合わせてがんばったこと、たくさんのことを乗り越えたという事実を、前向きに整理して心の引き出しにしまい直した。表現活動を通して、恐怖や悲しみを「みんなで」乗り越えたことを、「みんなで」振り返る時間は、子どもたちにとって大切な回復へのプロセスだったと考えている。(http://www.toyota.co.jp/jpn/kokorohakobu/article/culture/culture04.html,  http://www.envisi.org/kidsart/?cat=4


 本来は、子どもたちの成長段階に合わせ、長い時間にわたり継続的にこのようなワークショップが行われていくことによって、災害で受けた複合的な傷を癒していくことができるのではないかと思う。自分のまわりにいる他者と自分との関係を何度もあらゆる角度から確認する機会が、被災地には必要だ。


2012年1月26日伊里前小学校でのワークショップ。


 


2012年1月25日戸倉小学校のワークショップで作られた歌詞。


 


2012年3月11日南三陸町の追悼式で子どもたちは歌を発表した。


 


 南三陸町は1960年のチリ地震津波でも大きな被害を受けている。その当時の子どもたちは、瓦礫と化した自分たちの家の片付けをしたそうだ。子どもたちは大人とともに被災した現実に向き合い、コミュニティの人々とその災禍を乗り越えるプロセスに参加していた。他者の痛みに触れて、誰かのために役立つことができる自分自身の存在を確かめる時間を経ることで、当時の子どもも大人も災害を乗り越えたのではないだろうか。
 災害によって損なわれたものを回復して行くには、他者との関係の中で自分の存在を確かめアイデンティファイされることがとても重要だ。アートプロジェクトは、その機会を生み出す絶好の活動であることを、私は実感している。
 また、この時期に、私はきりこプロジェクトを再開した。家々が流失した跡地に、きりこを看板状にして設営したのだ。被災した人々が、今をどう生きているかを示すメッセージを添えて。(http://www.envisi.org/kiriko_project/)見えないけれど、人々の心の中に存在している記憶や思い出を見える化した試みだ。


志津川地区の流失地に設営したきりこボード


 


人々が懸命にがんばっている姿をメッセージに表した。


 


「ここに生きてきた幸せここで生きていく喜び」きりこプロジェクトのテーマだ。


 


 このプロジェクトは、跡形もなく消えた町に存在していた家々の生業や歴史や人々の記憶の依り代、そして、災禍を乗り越えようと懸命に生きる人々を讃えるシンボルになった。彼らが長年暮らしていた土地にこのボードが立ったとき、「家が建つよりうれしい」と涙を流した方もいる。このきりこボードは、何もなくなった町の中で、これまでの彼らの人生の歩みを唯一物語るエビデンスになった。


■仮設住宅からの旅立ち
 3年半が過ぎた今も、現地では仮設暮らしが続いている。しかし、公営住宅が完成し始めて、被災直後からともに暮らしてきたコミュニティからの別れの時も近づいている。また、仕事の補助事業も終わろうとしている。いよいよ、自立を迫られる日が近づいているのだ。しかし、十分な準備ができている人ばかりではない。これからまた新たな苦労に直面する人たちも多いだろう。アートプロジェクトにできることは、これからますます増えていくのではないかと考えている。
 まずは、人々の移動に伴うコミュニティの再編である。アートプロジェクトはこんな時にこそ大活躍する。
 現在、写真家の浅田政志氏に通っていただき、写真家と南三陸の人たちが話し合いながら撮影を進める「南三陸“がんばる”名場面フォトプロジェクト」を行っている。南三陸の人たちは、撮影を通し、一緒にそのシーンを構成する人たちとの関係を確かめ合う。自らの生活と町を再建するために汗を流す自分たちの懸命な姿、そして大切に育んできた仲間や家族との絆を、その写真は可視化する。


撮影中に地域の方々と談笑する浅田政志氏


 


波伝谷仮設のおばあちゃんたちは海の見える場所に畑を作った。
©南三陸“がんばる”名場面フォトプロジェクト PHOTO:浅田政志


 


 また、きりこプロジェクトは今夏、町の人たちの手で制作・展示を再開できた。そして、プロジェクトは新たな展開に入った。津波でご両親を亡くした女性は、自分の家のきりこを作りたいと初めてきりこ作りに参加した。彼女にとって切り紙は、亡き人の姿を偲ぶ媒介だ。「家族以外の人たちが、きりこを通して在りし日の両親の姿を思ってくれるということがうれしい」と彼女は涙を流した。
 無言のコミュニケーションが、作り手と家族、そして死者の間に生まれている。作り手は、泣きながら笑いながら、失われた多くのものに心を寄せつつきりこを作る。きりこを贈られた当事者は、それを作ってくれた他者と、無言で思い出を共有し心を通わす。人との関係の中で生きる自分の姿を客観的に見つめ直し、アイデンティファイされる瞬間を「きりこ」は生み出した。


2014年夏のきりこプロジェクト。震災後初めて、仮設商店街以外にもきりこを展示した。


 


移動販売のお店にも。


 


建設会社などの事業所にも展示した。


 


 南三陸町のコミュニティ力はもともと高く、町が丸ごとなくなった惨事下にその力は存分に発揮された。何度も津波に襲われてきたこの町には、外部の支援者を仲間として受け入れ、コミュニティに取り込む力があった。抜群のレジリエンス力を持っていたのである。みんなで力を合わせて難局を乗り切る心意気と、いかなる時にもユーモアや笑顔を忘れない前向きさが、地域の人たちやボランティアまでを前へ前へと動かす原動力になった。
 このような人と関わる力こそ、地域のレジリエンス力ではないかと思う。この力を支えることが、さまざまな問題が複合する被災地ではきわめて重要だ。人との関わりの中で、自分自身の存在や生きがいを確かめられることは、人間にとって最大の幸せである。
 地域で生きていく幸せと喜びを支えるために、復興までの各段階で、アートプロジェクトは大きな力を発揮できる。人と人とのリレーションシップを編み出し、人と関わり続ける意欲を引き出し維持することは、アートプロジェクトの得意技なのだから。


2013年夏、南三陸さんさん商店街の人々がそれぞれのきりこを持って撮影。

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プロフィール

アートディレクター・演出家
吉川 由美
アートディレクター、演出家。仙台市出身。コミュニティと文化芸術、観光、教育とをつなげ、アートの力で地域の力を引き出す活動をしている。宮城県大河原町のえずこホールで、開館以来10年、コミュニティ・プログラム運営に携わる。2004年以降、仙台市卸町、鳴子温泉郷などでアートプロジェクトを展開。2010年にアートプロジェクトを行った南三陸町で、継続的に復興を支援している。同町で行っている「きりこプロジェクト」で、2013年度ティファニー財団賞受賞。2014年、構成・台本を担当した宮城県の観光PR映像「仙台・宮城 結び旅」は、【ショートショートフィルムフェスティバル&アジア2014】にて観光映像大賞を受賞。 (有)ダ・ハ プランニング・ワーク代表取締役、ENVISI代表、八戸ポータルミュージアム はっち 文化創造ディレクター。 http://www.da-ha.jp , http://www.envisi.org

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