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心の宝を増やし、復興へ~子どもたちへの文化芸術支援

岩手県宮古市 主婦
藤村友樹子

2011年 山田町立山田南小学校学童クラブにて


はじめに.心の穴を埋めるのは?
 この夏休み、息子の通う岩手県宮古市内の小学校で夏祭りが行われました。ステージ発表や屋台のほか、保護者が提供した日用品などが格安で販売されます。当日、販売の準備をすすめていると、オープン30分前に入り口のドアをたたく年配の女性がいらっしゃいました。
「持ち物全部、流されちゃったの。だからここで買い物させてちょうだい。」
 心の隅にうっすらと、?マークが浮かびました。震災直後から多くの物資が避難所や仮設住宅に集まり、あまりに大量で全てを配布し切れないという現象も報告されていました。あれから一年以上過ぎて、物資の配布は一段落している状態です。大きな紙袋を複数持参したその女性は、夏がけ布団や食器、洋服など大量の買い物をして袋を満たし、販売開始前に何度もお礼をしながら帰っていきました。
「布団はね、あるんだけど、でも何枚あってもいいから。」
「食器も去年もらったのがあるの。でも、もっとあると安心だから」・・・
 疑問符は消え、切なさが残りました。“もの”に埋もれるようにして校庭を横切る後姿を見送りながら、全てを失った絶望感と恐怖感が簡単には消え去らないことを痛感します。その一方で、心にあいた暗い穴は、どんなに多くの“もの”に囲まれても満たされないことを思うのです。


1.相次ぐ支援に感謝、その中で感じたこと
 震災から数日~数週間。徐々に被害の状態が明らかになっていくと同時に、全国民が「自分にできることはないか」と考えたはずです。結果として、様々な形で多くの支援が寄せられました。「失くしたものが多いけど、人の心の有難さを実感した。」「日本の人はやっぱりやさしいね。」ボランティアに通った避難所で、当初、よく耳にした言葉です。
 しかし、三ヶ月を過ぎたあたりからでしょうか、被災者の皆さんから不安を感じさせる言葉が出るようになってきました。仮設住宅入居の抽選に当たった人外れた人、再就職が決まった人無職のままの人、友人知人から集まった支援の大小・・被災者の間に少しずつ格差が出始めていたのです。
 少しでも笑顔を・・そう願いボランティアに向かいながら、家も家族も無事である自分の身がどこか申し訳なく感じられ、上手に言葉がけができないまま避難所の女性達とお裁縫をしていたある日のこと。90才近いおばあさんが「今日はみんなにいいもの聞かせてあげる」とハーモニカを取り出しました。
 流れてきたのは、両親が口ずさんでいたような、懐かしい昭和のメロディラインでした。周囲から自然発生的に、手拍子が歌声が沸きあがります。一曲終わって拍手、笑顔。二曲終わって拍手、歓声・・・そして涙。私は、皆の心を揺さぶった音楽が、被災者自身から発せられたことに軽い衝撃を受けつつも、人々が前を向こうとしていること=心が音楽を受け入れる段階にあることを感じました。そして、慰問の形から一歩進んだ、被災者自らが立ち上がるための支援の必要性を考えるようになりました。


 さて、大人たちが衝撃に心を奪われ、右往左往している間にも子ども達は成長を続けています。度重なる余震、行き交う自衛隊車両、幾度となく繰り返されるニュース映像など非日常の環境の中で、子どもたちは感情を言葉で整理できずにいました。我が家でも、”避難ごっこ”が遊びの主流で、『高台』や『自衛隊』など、今まで口にすることのなかった単語が会話に登場しました。地震を報じる不協和音の口真似も。専門家の指摘がなくとも、親は異変を肌で感じていたものです。
 そんな中、有難いことに、支援の手は被災地に住むすべての子ども達に向けて寄せられました。まず、国内外からたくさんの物資や励ましのメッセージ。そして、仮設住宅が完成してすべての避難所が閉鎖され、各学校の体育館が再び使えるようになった2学期以降は、心のケアを目的に芸術やスポーツを通しての支援が相次ぎました。
 息子達から話を聞き、また、親子で一緒に鑑賞する機会を得て思ったのは、子どもに対する支援も、単なる慰問に終わらない形、例えば、心のケアと同時に人材育成に貢献する、などの内容が良いのではないかいうことです。
 もともと、沿岸の小さな市町村では人口流出や第一次産業の衰退といった問題を克服するための新しい町作り・町おこしが大きな課題でした。そこへ震災という大きな事態が起こり、若い力に対する期待がますます高まったといえます。あのとき、混沌と恐怖の中で他者のために動いた人々が持っていたのは、指示を待たずに自分で考え、判断し、リスクを引き受け行動する力でした。これからの町作りを支える子ども達を育てるにあたり、学力の向上はもちろんですが、豊かな感性や広い見識を養うためにはどんなアプローチが考えられるでしょうか。


2.『トモダチ作戦 with music』岩手開催へ
 そんな折に、東京で演奏活動をしている知人から、『トモダチ作戦with music』の活動を紹介されました。ワークショップ形式で子ども達とコミュニケーションをとりながらのプログラムと聞いて、これだ!と思い、即座に岩手でも公演をして欲しいと依頼をしたのです。
 ほどなく事務の打ち合わせが始まりましたが、一番最初に「支援の押しつけにならないようにしたい」という言葉をいただき大変ありがたく思いました。というのも、当時、市内の小学校では、教育指導要領の変更に伴い授業時間数が増えた一方で、支援事業の受け入れもあり、余裕がなくなっていたからです。しかし、検討を重ねるうちにご縁がつながり、2011年と翌2012年に、岩手県では大槌町、山田町、宮古市の3市町において、この素敵な作戦が実施されました。
 詳細についてはNPO暮らしに音楽プロジェクト砂田氏のレポートに詳しいのでここでは省略しますが、じっと音楽を“聞かされる”のではなく、音やフレーズの意味を考えたり踊ったりと、子どもたちから自発的なアクションが出るように考えられたプログラムでした。始まる前はてんでにしゃべっていた子どもたちが、演奏とともに体も心も吸い寄せられていきます。目が釘付けで、身じろぎせずにいる子ども。逆に、指揮者か奏者のように体を動かす子ども。それぞれが自分のスタイルで音楽に溶け込んでいき、何か空間のエネルギーが一点に集中していく様子が見て取れました。
 そこまでの時間を作り出せたのは、内容の質にもまして、プロジェクトメンバーの方々の真摯なお気持ちに依るところが大きいのは言うまでもありません。
 実は、初年度のワークショップは土曜日の開催となり、児童を対象としては学童の小さな部屋でしか行えませんでした。依頼した側としては、これでは演奏家が手応えを感じることができないのではないかと恐縮していたのですが、余計な心配でした。皆さん場所や聴衆の数に関係なくどこでも素晴らしい演奏と笑顔で子ども達とコミュニケーションを取ってくださいました。その姿が、関係者から高い評価を受け、連続開催につながったのだと思います。
 私としては、来年度以降もこの作戦が続けられるよう、願ってやみません。少々欲張りますと、現在のプログラムをほんの少し展開させるだけで、小学英語の必修化やキャリア教育に対応できる可能性もあると思っています。


終りに.未来につながる文化芸術支援を
 沿岸の子どもたちは今、多くの宝を得ているところです。これまで、これほど多くの舞台に触れる機会も、プロの姿勢を間近に感じる機会もなかったのではないでしょうか。
 野球少年とばかり思っていた男の子が大きな口をあけて歌っています。引っ込み思案の一年生が鮮やかな色彩で大胆な絵を描いています。芸術という分野は“愛好家のもの”と思われ、親が興味を持たなければ子どもも知らずに過ごしてしまうところですが、様々な支援のおかげで、あらゆる子どもたちが自分の引き出しを増やし、感性を刺激されていることでしょう。
 悲しい出来事がありました。だからこそ、この宝を大事に、大事にしたいのです。そして、元気になった子どもたちの笑顔や一回り成長した姿が大人たちに希望を伝え、心の穴を埋める手助けとなるよう祈るばかりです。
 最後に、この子どもたちへの支援を、支援で終わらせることなく地元で引き継いでいけたら、その町の文化復興の一端を担うこととなるのだと思います。施設の復旧ままならない現状への対応、そしてあらゆる人たちに対する機会の供与を考えると、アウトリーチ型のアプローチを増やしていくこと、また、地域のボランティア的存在を含めたサポートスタッフの充実が望まれます。そのためにも復興推進コンソーシアムでの交流を通して新しいネットワークが生まれ、それぞれの地域や対象に応じたモデルケースが増えていくことを大いに期待したいと思います。


2012年 宮古市立藤原小学校学童クラブにて                                      2012年 宮古市立藤原小学校学童クラブにて

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