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飯舘村文化復興元年

飯舘村教育委員会
高木久子

 ためらいがちに始めた飯舘村文化祭は、サブタイトルを「来て、見て、触れて、深まる絆!」とし、作品展示と芸能発表そして、歴史資料展示の3本立てでしたが、大きくひろがり「飯舘村の文化復興」の大きな第一歩となりました。


 平成23年3月11日の東日本大震災に伴う原発事故により、今までの生活が全く違ったものになってしまいました。4月22日、村全域が計画的避難区域となり、村外での生活を余儀なくされました。村内でも放射線量が高いとされる地域、妊婦、乳幼児のいる家庭、小・中・高生のいる家庭・・・と優先順位をつけ避難がはじまりました。村民全員が村外に避難したのは、7月になっていました。


 今まで田や畑に出て1日をあっという間に過ごしてきた方々が、何もすることがなく、慣れない土地、慣れない住居、慣れない仮設住宅での生活、はじめての人とのつながりとなり、落ち着かない毎日となりました。そんな村民に対して、少しでも心安らぐようにと様々なボランティア支援がありました。マッサージ、落語、カラオケ、踊り、足湯、あみもの、フラワーアレンジ・・・など今まで経験したことのないものであったり、興味はあっても手が出なかったことなど、特に仮設住宅への支援は尽きることなく続いていました。仮設集会所には、その様子等の写真やできあがった作品などが飾られました。新しい人とのつながりをつくることも含め、多くのお茶会も開かれました。


 全村避難に伴い、歴史資料を福島県歴史資料館に寄託することになりました。その飯舘村の考古資料・古文書・郷土資料を一般に公開・展示する企画を(財)福島県文化振興事業団からいただき、併せて大ホールを活用した「文化復興祭」の提案が出されました。歴史資料展示については、資料館事業ですが、大ホールの定員は1752席。これだけの人を集客できる自信はなく、当初、断る方向で考えていました。しかし、仮設住宅等から作品展示の場や活動始めた団体等からの発表の場、活動するきっかけを待っている団体等からの声があることを知りました。また、平成23年度に飯野町文化祭や飯野つるし雛祭りに参加した際、多くの村民が訪れていたことが飯野学習センターより報告があり、関心の高さを知ることができました。来場した村民は、作品を見ることも楽しみですが、知人や隣人の様子を知りたがっており、村民同士でお話をしたがっていました。このことにより、(財)福島県文化振興事業団からの提案を受けることになりました。


飯舘村文化祭ポスター 「お知らせ版」7/20号にて全村民に文化祭を実施すること、作品の出展と団体発表の参加の周知をしました。また、文化祭をきっかけに各団体やグループ活動を再開してもらえたら、・・・との願いを込めて、今まで出展依頼をしていた村文化協会、各老人クラブ、各婦人会、自主グループ、学校などに文化祭の周知と作品出展、発表会参加の依頼をお願いしました。新たな仮設等の自治会、老人会、自主グループへもお願いしました。


 7月中旬、(財)福島県文化振興事業団から、新たな提案があり、大ホールのほかに飯舘村公民館2階ホールとほぼ同じ広さの展示室も借りられることになりました。当初、大ホールとロビーを利用するつもりでいましたので、規模を拡大しなければならなくなりました。早速、村文化協会、いいたてスポーツクラブ、村婦人会、村老人会、学校、村社会福祉協議会、行政区長会の代表による実行委員会を開催し、内容を協議しました。


 周知して、すぐに相馬農業高校飯舘校から、学校祭「紅葉祭」を一緒にできないかとの提案がだされ、大ホールでの発表とロビー展示で対応することになりました。


 平成24年10月7日(日)~8日(月)の2日間、福島県文化センターは、飯舘村ほぼ一色となり、飯舘村公民館そのものとなりました。


(1)飯舘村総合文化展は、村民の作品展示をメインにし、全国から寄せられた様々な応援メッセージをはじめ、色紙、折鶴、フラッグ・・・なども展示しました。大きな会場が作品でいっぱいにできるのだろうか・・・?
出展者数643人、作品点数876点、と平成22年度の文化展より作品点数は少なかったものの、内容は大変充実したものでした。心配していた大きな展示室も全面的に埋まり、展示方法も工夫され見応えのある会場でした。また、例年通り優秀作品の審査も実施され、11団体と10人の作品が受賞しました。最優秀賞の村長賞は、仮設住宅やその周辺に住む婦人方が中心の新たなグループで結成された「やまゆり会」の一閑張り作品で、バック、ざる、小物入れなどを古い箪笥や着物なども併せてディスプレイするなど大変凝った展示で来場者からは感嘆の声が上がっていました。また、毎日の折り込みチラシをもくもくと折って作った敷物は、特別賞(個人)となり、大変な苦労が感じられるものでした。小学校作品は、学年単位でつくられ、みんなの団結力が大きな作品となりすばらしいものでした。


文化祭の様子1 (2)いいたての鼓動は、文化協会、いいたてスポーツクラブ、伝統芸能の発表をメインとしました。また、小学生・中学生の研修事業の報告会、飯舘村歴史講演会、そして、飯舘村を応援するコンサートも組み込まれました。
小学6年生の沖縄の旅、中学生のイタリアとオーストラリア研修の報告が、写真や映像で紹介されました。子どもたちは、多くの保護者が見守る中堂々と発表していました。
歴史講演会では、大倉地区の遺跡に関する話で身近にある古代を感じました。
発表会では、文化協会5団体、いいたてスポーツクラブ2団体、芸能保存会5団体、他1団体で23演目が披露されました。文化協会やスポーツクラブでは、見事な衣装も併せて目を引きました。芸能保存会においては、時間の関係上短縮した形となりましたが、聞きなれた音に懐かしさを感じ、大きな拍手が送られていました。また、飯舘村の応援として、参加していただいた佐藤宗幸さんのコンサートでは、涙ぐみながら聞き入り、一緒に「ふるさと」を歌うなど、飯舘村への思いを新たにしました。


文化祭の様子2(3)「いいたての歴史と風土」は、公民館などで展示されてなかった資料を解説付きで展示されました。歴史資料館での1日の入場者数が過去最高607人を記録するなど、大変興味深い資料だったようでした。視聴覚室では、飯舘村の祭りや村文化財、伝統芸能のDVDを自由に見られるようにし、182人が楽しみました。


(4)相馬農業高校飯舘校「紅葉祭」は、オーストラリア研修報告を含む3件の学習発表と生徒によるパフォーマンス9演目がありました。家族などが見守る中、ダンスや楽器演奏など楽しくパフォーマンスしていました。ロビーには、パネルいっぱいに学習資料、手作り絵本や研究野菜も展示されていました。また、小さなスペースを利用して子どもたちが遊べるコーナーもあり、折り紙に夢中になっている子どももおりました。


文化祭の様子3(5)おもちゃ美術館が急きょ開館。幼児のために木のおもちゃをメインに東京おもちゃ美術館から、おもちゃコンサルタントも一緒にやってきました。奥まったわかりにくい場所にもかかわらず、常に多くの子どもたちが木のおもちゃに触れていました。保護者もまた、木のぬくもりを感じ一緒に楽しんでいました。


 大きな会場を活用した文化祭に、不安がいっぱいでしたが、2日間の来場者数は、展示室約1800人、大ホール約2300人、歴史資料館約840人、おもちゃ美術館約780人と想像以上でした。


 文化展の出展状況においても、仮設等自治会11、老人会6、婦人会5、文化団体15、個人15人と多くの方が出展してくれました。特に仮設自治会では、写真や作品など様々な作品が寄せられました。また、新たな団体を立ち上げ、新しい仲間つくりもしていました。展示会場では、多くの方からお褒めの言葉を頂き、今後の生涯学習につながることを確信できました。


 ステージ発表においては、皆さんが大きな舞台とすてきな照明演出に気持ち良く演技ができたことに満足していました。伝統芸能発表では、小学生の参加もあり、育成・継承にも役立っていることを痛感しました。練習することにより、絆が深まったことも報告されました。


文化祭の様子4 飯舘校生の活躍が大変大きく、受付、案内、舞台補助・・・などスムーズに進行できました。実行委員の皆さんも自発的に協力いただき、大変助かりました。みんなで成功させようという気持ちが良い結果につながったように感じました。


 散り散りになった村民のため、会場への交通手段として7コース8台のバスを運行しましたが、乗車人数は思いの他少ない結果となりました。また、出店、軽食や物品販売等がなかったことが残念だったの声が聞かれました。避難生活が続くことを考えると次回の文化祭会場も十分な検討が必要な状況です。


 会場の至るところで、久しぶりに会う知人・隣人に声を上げて喜びあう姿が見れたこと、出展者や発表者の元気な姿を確認できたことは文化祭を開催したことに大きな意義があったと感じました。また、大きな会場を提供していただいた(財)福島県文化振興事業団に深く感謝いたします。
文化祭の様子5
文化祭の様子6

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