ご覧のページは、これまでのコンソーシアムのホームページを活用し、コンソーシアムの活動記録や資料等をアーカイブ化したものになります。

被災施設の復旧改修から考える

日本大学理工学部教授
本杉 省三

1.順序通りでは済まない復旧行程
 大規模に天井仕上げ材が落下した施設など大きな被害を受けたところでは、大まかに(避難者受入れ)>被害概略調査>撤去解体工事入札>撤去解体工事>被害詳細調査>復旧改修設計>見積もり>(補助金交渉/査定)>入札>工事/監理>竣工>補助金交付申請>再開場>補助金入金といった流れでことが動く。これらを順番に進めるのが本来の道筋かも知れないが、大規模震災時にあっては、そう簡単にことが順序だって運ぶわけではない。客席内は天井からの落下物で立入り禁止にしているものの、ホワイエやリハーサル室等では避難者を受け入れ、舞台裏を支援物資置場にしなければならないといった状態も当然ある。


Fig.1 災害時における建物復旧の(推奨)手順


Fig.1 災害時における建物復旧の(推奨)手順

 施設管理者は、あるエリアで住まいや家族を失った人たちへの対応を行う一方、施設の被害状況をできるだけ早くかつ正確に把握しなければならないという任務もある。どんな被害を受けているのかをまずは施設設置者に連絡、報告しなければならないし、それができるのは、その現場に従事している人しかいない。建物や舞台設備が危険な状態にあるのかどうか見ただけでは分からないことも少なくない。このため、今回の全国調査でも、70%余りが事業に影響がなかったとしながらも、28.6%程度の施設が舞台設備会社に点検、修繕を依頼していたことがそれを物語っている。落下物を撤去しようにも脱落しかかっている天井付近に近付くことは危険で二次災害を招きかねない。



3. 被害概要(別紙の写真参照)
(1) 建築関係
・外壁及び内壁タイル一部のひび割れ・剥離・落下
・RC壁の一部ひび割れ、中空コンクリートブロック壁の一部ひび割れ
・ホール客席天井裏内の吊ブレースの溶接部分剥離、及び吊部材の一部落下
・集会室天井仕上げ材の一部落下と照明器具の損傷
(2) 外構関係
・建物外周の一部の地盤沈下
・舗装部分のひび割れ
(3) 建築設備・電気
・冷温水配管からの漏水
・一部ダクトの損傷、脱落
・屋上高架水槽の破損
・給排水管の一部破損・漏水・断水
・スプリンクラー配管からの一部漏水
(4)舞台設備関係
・電動吊り物用CWがガイドレールから脱落
・客席用スピーカーの取付け金具の外れ
・映写機アンカーボルトの抜け



Fig.2 初期の被害調査報告事例の一部例

Fig.3 プロセニアム上部乾式壁脱落(左) 客席天井材落下の天井裏(右)


Fig.3 プロセニアム上部乾式壁脱落(左) 客席天井材落下の天井裏(右)

 もともと天井裏は、点検や保守のために人が歩くキャットウオークがあまり丁寧に計画されていないところが多い。せいぜい人がアクセスできる領域は客席照明用のランプ交換ができる程度に限定されているため、そこから目視できる範囲はおのずから限られてしまう。どこまで危険な状態にあるかを確認しようにも、近付くことさえできない。正確な調査をしようとすれば、安全を確保しながら足場を組み上げ、二次災害の危険を回避しながら慎重に作業を行う必要がある。ある施設の復旧改修工事では、足場を組むだけで2か月、全体工期の1/4~1/5程度も要していたように、一般的な工程通りに行かないのが災害復旧である。


Fig.4 ゴンドラによる外壁調査・(左)客席内全体に足場を組んで細部の調査・工事(右)


Fig.4 ゴンドラによる外壁調査・(左) 客席内全体に足場を組んで細部の調査・工事(右)

 余震のリスクもあり、そのような状況のもとでは、さらにどの部分が落ちてくるかもしれないし、心配が先行し簡単に足場も組み立てられない。つまり、天井の裏側からも下側からも容易に撤去のための準備作業に取りかかれないのが現実である。通電できず、懐中電灯だけで見て回る、仮設電源から臨時的な明かりを確保するしかないというケースもありうる。天井の仕上げ材や部材・工法は同じようでも、天井裏の状況は施設ごとにまったく異なるので、撤去のための作業計画を組み立てるにも現場を十分調査し、熟知していなければならない。その上、目に見えない事態が現れることもあり、その場での対応にも迫られる。そうした計画は、誰でも出来るわけではなく、作業の手順、方法等を知り経験豊かな専門家でなければできない。足場を組んで近付いてみて、初めて見えてくる被害等もある。高い位置や目の届かないところにある被害は、事前の目視調査では分からないのが普通である。


Fig.5 被災建物の緊急復旧手順


Fig.5 被災建物の緊急復旧手順

 しかしながら、補助金申請のためには、具体的な被害状況を図面上で正確かつ具体的に示す必要がある。写真だけでは資料として認められない。となると、調査だけでも壁面や客席内に天井まで足場を組み、傾斜のある屋根では、命綱を付けて複数人で安全を確保しながら実施するしかない。そうした特殊作業は、設計事務所やコンサルタントの専門領域を超えている。これら初期の調査は、被害状況を把握し、復旧の手順を計画したり工事費を見積もるための準備作業であり、補助金を申請するための調査だが、それ自身が何か新たに形あるものを生むわけではない。しかし、それにも大きな出費が必要で、調査だけのためにわざわざ足場を設けるのは合理的とは言えない。当然、その後の工事にも使うというのが道理というものだろう。


Fig.6 天井仕上げ材と壁面にクリアランスを確保


Fig.6 天井仕上げ材と壁面にクリアランスを確保

 そうしたことから多くの施設では、先に述べたような手順がむしろ一体的に動くような方法によって復旧プロセスを組立てていた。できるところから調査、図面化と記録写真の整理に取り掛かり、足場を組んで高所や分かり難いところをさらに正確に記録して行くことで時間・コスト・作業手順の合理化を図っていた。場合によっては、工事までを含んで同時進行的に作業が行われることもあり、緊急時における手順が現場の違いにより様々であることがわかる。


2.被害が甚大なところほど苦労する
 一方、これをまじめに順序通り行った事例では、いまだ再開に至っていないところもある。はじめの年度に被害状況調査を実施し、次の年度に復旧改修の実施設計を発注、そして、ようやくその翌年度に工事に取り掛かるというスケジュールである。被災数年前、ほぼ1年をかけて大規模改修を行っていた施設では、その時にアスベスト撤去が実施されたことが救いだったように思える。もし、それが実施されておらず、被災を受けたまま長期にわたって復旧を待つ状態になってしまっていたとすると、別の問題を引き起こしかねなない。地震がこうしたアスベスト問題にもつながっていることに気付かされる。
 天井仕上げ材の落下等人の立ち入りがそもそも危険であるような状況でなく、足場等を組んでの調査も必要とされなかった。しかし、津波被害が著しい町にあっては、様々な緊急事態が発生するとともに、街づくりを基礎から見直すという大命題が重くのしかかってくる。町全体の青写真が整わない状態である時、現地復旧工事を進めることに躊躇するのはありうることだろう。文化施設まで手が回らない状況になることは止むを得ない。けれど、そうしている内にも時間が過ぎていく。この間、次の津波被害を想定して、これまで地階にあった機械室、電気室を地上レベルの高い所に移したり、本体建物とは別棟で設けたり、空調範囲をきめ細かくゾーン分けして機械設備の更新・システムを再編したりしている。また、海側に面しているガラス面をコンクリート製の壁面に変更、非常口を全てバリアフリー化等といった改善を盛り込むといった工夫も行われていた。


Fig.7 浸水し復旧を待つ施設 汚泥除去されたが…客席(左) 応急仮囲された展示室(右)


Fig.7 浸水し復旧を待つ施設
汚泥除去されたが…客席(左) 応急仮囲された展示室(右)

 そのように丁寧に順序だって実施してきたおかげで、実際の再開場が被災の3年後になってしまうという。しかも、そうした復旧改修工事に対する補助金の交付は、竣工後に多くの書類を証拠書類として申請し、最終査定を受けてということになる。補助金対象となる復旧改修であるのか対象外であるか判定されて、初めて補助金受け取ることができる。それまでの工事費は自治体が取りあえず負担しなければならず、財政的に体力がないと持たない。こうした事例を振り返ってみると、定められた行程通りに素直に復旧を実施すると、かえって割を食ってしまう格好となってしまったようにも見える。
 これまでの過程において、今後何十年かを見通した施設機能の再編、計画の見直し等が検討され、改修工事に反映することができれば、その期間も大変意義あるものとなっただろう。しかし、原状復帰を原則としていることが、そうした方向性まで踏み込めない状況を作り出してしまっているようにも思われる。閉館中にも文化活動関係者や市民の関心を何らかの形で施設に結び付ける活動・展開をして行くことは、次のステップに繋がるものとして期待できる。それとは逆に、長期の閉館に慣れてしまうことに弱体化への恐れを感じてしまう。
 さらに困難な事態に立ち向かわなければならないのが、現地における復旧・修復ができない場合である。津波被害を受けたある施設では、現地建て替えでは、安全が保障できないことから、敷地を移して建設することが予定されている。国の補助金制度の原理では、現地における現状復帰が原則だが、高台移転など町そのものの骨格を変える必要が検討されている中では、文化施設を現地に留める根拠はない。しかし、根本的な移転まで含めた被害を受けたところほど国からの補助金受給額割合が減ってしまうという制度は、そうした当事者にとってみれば、情けがないものに映る。


Fig.8 1階部分が全て冠水、清掃されているが閉館される施設


Fig.8 1階部分が全て冠水、清掃されているが閉館される施設

 釜石市の市民文化祭は、2011年は公民館で、2012年は市総合体育館で行われ、昭和52年から続いている12月の第九演奏会高校体育館で催されている。もちろん、体育館の場合、体育館需要が当然あるので棲み分け/優先順位が難しくなる。こうして、自分たちの町の文化を懸命に継続させている活動があるものの、文化活動の拠り所が失われてしまい、数年もの長期にわたって休館状態が続くと、そもそも文化施設の必要性に疑問を持つ人が多くなるのではないか、定期利用者が離れて行ってしまうのではないかという恐れが出てくる。
 それらの町では、文化施設よりも火急の問題が山積みし、閉鎖状態が続く文化施設の存在感は日々遠くなっていくようで大きな心配がある。多くの市民の関心は、より重要度の高い復旧課題にあり、代替え施設で文化活動が賄えているという認識に納まってしまえば、文化施設の意義は後退してしまう。とはいえ、ガバチョ・プロジェクトなど被災後に誕生したNPOも少なくない。既存の活動に加えて、新たに芽生えた活動の意識・連携に期待したい。


3.工事終了後にも発覚する被害
 一旦、復旧改修工事が終わってしまった施設では、また別な問題もある。工事を終えて再開し、初めて分かることもある。しかし、再開後となると、それが震災によるものなのかを単なる老朽化によるものなのか証明するのが容易でないことは想像がつく。そうした事態に対して予算が付きにくいという声も聞く。例えば、地中に埋まった排水管が一部ずれてしまっていたとする。完全再開前は、そこに通じている排水の利用が少なかったために、目立ったこともなく済んでいたが、利用が元に戻ると、その部分が障害となっていることが排水の逆流によって初めて発見される。しかし、完全再開後になってしまえば、復旧改修工事は既に完了しているという行政側の判断が働いてしまう。その建物復旧に関する国からの補助金申請が終わってしまっている時点で、追加申請が認められる可能性は殆どないに等しい。
 と、素直な人はそう考えがちである。しかし、そうした厳格な査定がある一方で、復興予算の「流用」と指摘されるような使い方があることを聞くと、実態を知る由もない者にとっては、我が国の文化が置かれている状況を目の当たりに見せつけられているようで悲しい。平成25 年度予算編成の基本方針(平成25年1月24日、閣議決定)を見てみると、「予算の重点化についての基本的な考え方」として(1)復興・防災対策をあげ、以下のように書かれている。



防災対策については、老朽化対策など社会の重要インフラ防御、学校耐震化など事前防災・減災対策のための国土強靭化、災害等への対応体制の強化などについて、ハード、ソフトの両面につき抜本的に強化し国民の不安を払拭する。なお、復興関連予算は、「流用」等の批判を招くことがないよう、使途の厳格化を行い、被災地の復旧・復興に直接資するものを基本とする。



 「基本とする」ということは、そうでない場合もあるということだが、正直者が苦労しない運用であって欲しいと期待するばかりである。先に述べた津波被害を受けた施設への補助、とりわけ現地復旧の意味がない施設に対するが補助に対しては、優先的に手厚い支援があってよいのではないかと思う。
 生活環境の復旧も遅れがちな町においては、限られた自治体予算をどのように振り向けていくのか本当に難しい議論だと想像する。そんな中で、文化活動・施設の復興も私たちの日常にとっては、精神的にも肉体的にも欠かせない栄養源であることを粘り強く説明し、理解してもらう必要がある。
 もちろんそうした事態にならないことが一番で、そのためにも、施設の根本的な見直しが必要である。防災や危機管理等といった技術的側面ばかりでなく、そもそも文化施設における活動・運営はどうあるべきなのか、機能・内容にはどのようなことが求められるのか、現状理解を基礎としながらも、それ超えて町と文化の関係、人と活動の関係、既存施設と新施設との関係等から文化施設の在り方を巡る根本的な議論が必要とされているのだと考える。
 そうした議論と共に、地震など災害時における施設の点検項目を普段から作成し、自ら定期的にそれを実行して行くことが大切であると思う。施設を構成する部位は非常に多様性に富んでおり、それぞれ専門的知識が必要とされる。1人の技術者がそれら全分野をカバーすることは容易でないし、できるものではないのだろうが、委託任せにせず自ら全体を把握して行く市政と努力が望まれる。そもそもあまり大きくない施設では、そうした専門職の存在も薄く、専門技術者にあってはとかく専門領域だけに限定しがちだが、活動・利用者と共にあるという意識を持っているかどうかが災害時に現れてくると言えるかもしれない。


4.指定管理者の苦悩と自治体公務員の苦悩
 各地の施設を訪れて話を伺っていて考えさせられたことの1つに、指定管理者等委託事業者との協定関係がある。移管期間中に被災したある施設では、4月からの指定管理に向け3月から引き継ぎ業務を行っていたところで震災に見舞われている。施設細部までまだよく把握していない段階で避難者を受け入れなければならない状況に陥ったわけである。引き継ぎするどころか、24時間体制での交代勤務となり、本来のホール管理業務とは異なる仕事を切り盛りしなければならなかった。緊急事態であったが、事前に交わした覚書通り3月分は無償対応としたが、4月以降は契約の危機管理条項に則り避難所業務の手伝いを担ったという。そして、避難所対応期間については、通常の業務内容を想定していた契約内容変更を行うことで対応していた。避難所になっていた時からも、被害個所・内容を調査する必要があり、できる範囲から始めたというが、客席天井部分や屋根材、壁材などの一部落下などについては、目視以上の正確な調査は、専門とする会社に依頼するしかなかった。そうした中で、行政所轄部局及び営繕・設計事務所・施工会社の連絡・調整役としての役割を果たすことが施設の現場にいるものに期待されていることだと痛感したという。
 一方、他の施設ではまったく逆とも言える出来事も聞いた。避難所指定を受けていなかったにもかかわらず、同様に多くの避難者が自然に集まって来てしまったという点や緊急でその対応を図らざるを得なかったということは共通だった。しかし、思わぬ事態は避難所対応が解かれた後にやってきた。スタッフが一致協力して、避難者への対応を図り、ようやく避難所でなくなった時に、委託契約を結んでいる事業者から、超過勤務手当の支払いを請求されたとい事例である。困難な時期だからこそ全員が一丸となってという気持ちだったので、請求を受けた側にとっては大きなショックだった。ただ、そうしたケースもあり得ることは念頭に入れておかなければならないということである。
 別の課題も見つかった。利用料金制をとっている施設では、避難所となったり、建物被害を受けて休館してしまったりすると、事業収入が全く見込めなくなる。事業が行えないことは、行政から委託された任務を果たせないことを意味する。そうした期間が長期になれば、契約内容の変更、それに伴う契約金の減額、更には契約解除という事態も想定しなければならない。そうなれば、職員の解雇、廃業などといった最悪の事態、生活に関わる重大問題にもつながる。
 行政に関わる人たちにも苦悩がある。指定管理制度が普及したせいで、文化施設管理運営に何らかの形で関与する行政側の人間がめっきり減ってしまったことである。つまり、文化関係の担当者がいない、いるのは指定管理に関する仕事しかしていないという状況への危機感である。そうした仕事しかしていなければ、他により急を要することがあればそちらにということになってしまう。特に被災当時は、自分が担当する施設・活動にも行けず、避難者・救急対応に追われることになる。そんな風にして、文化関係の担当者が直接的な復興関係業務に回され、結果的に震災前13人だったのに今や半分以下の6人に減員となっているという自治体もあることを知った。
 しかし、逆境だからこそ文化に期待されているところもある。被災後、活動の場は限られてしまったが、それでも新たに文化NPOが数多く被災地から生まれていることには期待が持てる。震災前には鑑賞型が多かったところでも、被災を通じて次第に参加型やアウトリーチ型の事業、あるいは行政組織の垣根を越えた催しの組み立て多くなってきたという。生活と共にある文化活動の意義を浸透して行くためにも、活動と人を結び付けるコーディネーターの役割は大きい。それを実感しているのは、他でもない現場と現場に近い文化行政担当者たちなのである。地方にあっても文化活動の核になっている人や施設は必ずあり、そうした人・施設が中心となって周辺地域におけるコーディネーター育成や連携の芽を育てて行く必要があるだろう。そんな基盤作りの後押しができたらと思う。
 長期的に休館せざるを得なかった施設では、特に子どもの体験事業を積極的に実施したところがある。福島県においては、子どもたちが外遊びもできない状況に追いやられていることの問題は極めて大きい。福島第1原発から60km離れた郡山市の屋内遊び場で走り回り、砂遊びに興じる親子の姿を見るにつけ、これを何年続けるというのだろうかという大重い衝撃に言葉がない。


Fig.9 PEP Kids Koriyama(小児科医菊池信太郎の呼び掛けに地元スーパーと市が協力・協調して開設された屋内遊び場)


Fig.9 PEP Kids Koriyama
(小児科医菊池信太郎の呼び掛けに地元スーパーと市が協力・協調して開設された屋内遊び場)

 そんな状況下で、しかも自ら大きく被災しながら、地域の子どもたちのために96か所でアウトリーチ活動を実施してきた組織もある(福島県文化振興財団http://www.culture.fks.ed.jp/jidai/enmoku.pdf)。施設内の自発的事業はできないし、活動は外からの補助金頼みにならざるを得ない。でも国の補助金は事業後にもらえるもので時差が出てきてしまう。経済的体力がない小さな自治体では到底無理な話である。大きな自治体にとっても、補助金入金の対応が遅ければ自治体運営は苦しくなるだけである。福島のように、震災被害と共に原発から引き起こされる長期的な問題に対応せざるを得ないところでは、より継続的で融通性のある文化活動支援の仕組みが求められる。


5.元に戻すより前に進もう
 縮小する社会において、施設計画を考えることはサービスとコストを考えることと同じである。復興という大きなプロセスの中で、公共サービス、公共建築の維持管理コストの負担がどの程度の重みを持ってくるのか考えるのも同じである。高齢化、低成長という社会の現実は待ったなしであり、自治体であろうが株式会社であろうが、避けて通れない問題である。各自治体は、そうした視点から自らが抱える公共施設と公共サービスをどのようにフィットさせていくのか悩んでいる。
高度成長期のように、次々施設を建てたり更新したりできるわけでないことはみんな知っている。将来的な財源を見通しながら、今あるものを長く使えるように改修する、時には廃棄する、そんな施設・サービスのマネジメントを自治体全体で、更には自治体間で計画することなしに、文化活動の将来もあり得ないことは理屈として誰でも分かる。で、それをどのように具体化するかである。
 今のままで良いとも誰も考えていないのではないか。としたら、元に戻す復旧はダメなのではないか。中長期的展望に立てば、ホール客席規模、必要諸室の機能・大きさ等が今のままでいいとは思えない。もっとそれぞれの町に合った活動・規模・内容について考え直す時だろう。管理維持費が少なくなるような建築・設備性能の総合的向上は必須条件だろう。ところがどっこい、文化施設が置かれている状況はそんな甘いものではない。
 過去のデータでも、1~2割程度しか計画的改修工事を行っていないことが分かっている。問題になってから修繕するといったその場しのぎの対策しか取ってきていないところがほとんどだという現実にどのように改善の方向を示すことができるのか、容易なことではない。予防検診・治療が保険対象とならず、発症後治療に重点が置かれている医療制度の仕組みと同じである。文化活動の成果が私たちのQOL(Quality of Life)や健康維持、コミュニティ意識などにどれほど貢献しているのか、医療費にもつながる問題であることをもっと根拠を持った説明で示さなければならないということであろう。
しかし、その結末が今回の震災結果でもある。このままの状態でいれば、東日本大震災と同規模の地震が来れば、再び同じような被害が繰り返されることは明らかである。しかも、旧耐震基準で建てられた都内マンションで、耐震改修済みが分譲で5・9%、賃貸で3.4%しかなく、耐震診断実施率が分譲17.1%、賃貸6.8%である(「マンション実態調査結果」2013年3月、東京都都市整備局住宅政策推進部マンション課)ことを知ると、大規模地震が首都圏を襲った場合の被害と混乱は、予想を超えた恐ろしいものとなると予測される。
 今回調査でも、中長期修繕計画があるとしている施設は10.7%程度で、現在計画中(19.8%)と合わせても30%余りに過ぎない。しかし、現在計画中とする施設が増えているようで、それが今回の震災の影響であるのかも知れない。


Fig.10 中長期修繕計画の有無(JATET/公文協調査2012)


Fig.10 中長期修繕計画の有無(JATET/公文協調査2012)

Fig.11 屋根改修時期(科研・勝又調査2009-10)


Fig.11 屋根改修時期(科研・勝又調査2009-10)

Fig.12 空調機更新時期(科研・勝又調査2009-10)


Fig.12 空調機更新時期(科研・勝又調査2009-10)

 ところで、復旧、元に戻すという意思・方向性が強過ぎると、同じような事態がいつまでも続くことにならないか気になる。自然災害によるものであれば、そこで学んだことが復旧過程において生かされることが必然である。ヨーロッパの復旧復興が復元を基本としているのは、戦争という人が起こした災害によるものであり、記憶の空間、生活を取り戻し継承するという側面から意味あるものとなる。それに対して、日本の3.11からの復旧復興は、まったく意味を異にする。生活を元に戻す、コミュニティを元に戻すのと建物・都市を元に戻すのでは意味が異なる。同じ土地に同じ構造の建物を作れば、同じような地震で同様の目に会うことは誰の眼にも明らかである。
 しかし、補助金という制度のもとでは、原状復帰のみが対象となり、それ以外は対象外である。向上する部分は自己資金でということになる。


Fig.13 将来に向けた改修の考え方


Fig.13 将来に向けた改修の考え方

 被害が少なかった施設でも別の問題がある。40年ほど経過した施設では、ボイラー等設備機械の交換や修繕計画の予算化を申請しても、震災復興関係の予算が優先され、現状で動いている施設までなかなか回ってこない。施設に対する従来からの認識が、あまり変化していないどころか、被災地域では、かえって難しくなっているのかもしれない。だからこそ、今後の税収減や施設維持コスト負担増を推計し、自らがさきがけとなって、規模縮小・内容変更を考える計画性が求められているようにも思える。
 長い時間をかけて復旧改修を行うのであれば、あるいは今後の震災対策を含めて文化施設の在り方を考えるのであれば、根本に立ち返ってこれからの地域文化活動の在り方、地域との関わり方まで議論することから再出発できないものだろうか、という強い思いに駆られる。クラシックコンサートは数年に1度行われるかどうか、子供向けミュージカルはあっても演劇公演はあまりない、しかし学校吹奏楽活動は盛んだし、レベルも高い。市民の劇団、合唱、バレエなどの活動もある。そうした地方都市において今後、というよりも、既に現在の問題として、これを機に考え直すという機運を高めたい。

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