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【震災から3年】いつまでも忘れない~いま大切なのは、つづける“わ” Vol.1 『地域の力』

いわき芸術文化交流館アリオス 支配人
大石 時雄

 東日本大震災と原子力発電所の事故が明らかにしたのは、このような出来事を滅多に起きるようなものではない特異な現象に見立てて、ひたすらなかったかのような態度をとろうとすれば、いつかまた同じような苦しみや悲しみを多くの人が引き受けざるを得ないだろう、ということである。危機は管理できる、安全は確保できると考える限り、悲劇は繰り返されるのである。「3年前の災禍は、千年に一度のことだから。しかも、たまたま不幸な偶然が重なってしまった。」とでも思うなら、それは愚かなことだ。


 自分のためではなく、地域全体にとって何が善いことであるか。
 地域の大人たちが十分に時間をかけて、納得がいくまで討論し続ける。ぼくは、それを政治活動だと考える。経済的な利害関係における利益代表を選挙で選ぶ行為とは、異なるものだ。地域のための政治も公立文化施設の事業も、その手の専門家に委ねるものではなく、当事者である住民がみんなで担うものだ。少なくとも、ぼくはそのように理解している。多くの人が地域の課題について話し合うために集まる場所が、地域には必要だ。寺、神社、小学校、公民館、役場、どこだっていい。人間のあいだの開かれた空間が、地域に在ればいいのだ。
 地域の子どもは、地域で育てる。かつて、そんな言葉があった。地域には、子どもを育てる力が備わっていたから、そういう言葉が生まれたのだろう。忙しい親たちに代わって、子どもたちを映画館に連れて行く大人がいた。ぼくも怪獣映画に何度か連れて行ってもらった。昆虫に詳しい大人は、材木置き場でカブトムシの幼虫を見つけてくれた。その幼虫を育てるのが、ぼくたちの夏休みの宿題になった。星に詳しい大人は、天体望遠鏡を持っていて、月のうさぎの正体を教えてくれた。
 自分の子でないから、興味もない。世話しない。叱らない。そのような大人など、いなかったのではないか。少なくとも、その頃のぼくはそう思っていた。子どもを養うのは親の責任、教育するのは学校の責任。そのように割り切り、子育てを親に、教育を教師に押し付ける大人を、ぼくは知らない。
 だからだろうか、お母さんは、子どもが学校から帰って来たら、「外で遊んでおいで」と言えば良かった。夕ご飯の支度に忙しいお母さんは、子どもの相手をしている暇はない。「夕ご飯までには帰って来るのよ」と、子どもを送り出した。小学校の通学エリアには、空き地、神社や寺の境内、友達や親せきの家など遊ぶ場所はいくらでもあった。その上、子どもたちを見守る大人の目が、常にどこかにあった。そういう、大人たちの相互信頼で成り立つ地域コミュニティが、地域全体で子どもたちを育てることを可能にしていた。



 現在は、どうか。自分が遊ぶのに夢中で、自分の子どもにさえ興味のない大人が少なくない。パチンコに熱くなって、車に置き忘れた子どもが熱中症で小さな命を落とす。そんなニュースを見聞きするのは、珍しくない。自分の子どもと遊ぶより、彼氏や彼女と遊ぶことを優先する親さえいる。あきれたことに、子どもにご飯を与えない親もいる。ひもじくて、淋しくて泣いている子どもに関心の無い親は、いったい何者か。ネットによるいじめなどを拡大させておきながら、そういう社会をつくった大人たちは、責任を取ろうともしない。IT企業が儲かれば、それで良いのか。株価が上がり、法人税が国に納付されれば、それで済むのか。ネット社会が、どれだけ子どもたちの心を蝕み、傷つけ、命さえ奪っているか。そのことを顧みない大人が多くなってはいないか。
 東日本大震災が発生したとき、たくさんの命を救ったのは、地域の住民たちだった。地元の消防団、警察官、消防隊員、役所の人、高校生など、自身の命と引き換えに他人の命を救った人は多くいた。地元の消防団の人は、254人が亡くなったという。自身の命は二の次にして、町内を走り回って住民に避難を促した。住民が山のほうへ向かって避難するのを見送ったあと、住民とは反対の方向、海に向かって走ったのだ。水門を閉じようとして、逃げるのが遅れて、津波にのみ込まれたのだろう。地域のお年寄り、女性、子どもの命を守るのが、地元の消防団の使命だ、との気概を証明した。「国民の命と平和な暮らしをしっかりと守る」という政治家がいる。ならば、自身の命と引き換える覚悟はあるか。深く考えないままに、安易に使われる言葉ではない。


 地域社会が抱える問題は、地域社会で暮らしている、ぼくたち自身の問題だ。これまでも地域のことは地域で考えてきたし、住民の暮らしは地域全体で守ってきた。地域が抱える問題の多くは、ぼくたちが利便性、経済性を追求してきた行動の結果である。問題ではなく、答えなのだ。それでも、「自分にできる範囲でなら、地域のために何かしたい」という人は、少なくない。労働でも仕事でもない、地域のために汗をかく活動のことだ。おカネに価値を求めない若い世代に、そういう人は意外に多い。最近の若者はたしかに、言葉少なく、禁欲的かも知れない。だけど、理不尽な日本社会に耐え、黙って行動する善さを持ち合わせている。実際に、東日本大震災の被災地に、ボランティアとして東京などから駆け付けた若者は、数知れない。経済成長など期待しない若者が増えたことに、ぼくは希望を感じる。そんな多くの若者もまた、東北と同じような地方出身者だ。ふるさとや実家、親戚とのつながりが薄れていくのを感じながら、それでも大都市へ出て行く。自身の人生に何かトラブルがあったとき、助けてくれる人が誰もいない。そういう恐怖を感じない人は、よほど恵まれた人だろう。親を見送り、兄弟姉妹はおらず、独身なので家族もない。そういう日本人が普通になる時代が彼ら彼女らに忍び寄る。そのときに備えなければならない。家族を持たなくとも、ふるさとを遠く離れていても、自分が選び取った「縁」を、暮らしている地域で築く必要がある。


 ぼくが子どもだった頃のような「地域の力」を取り戻すことは出来ないかもしれない。ネット社会は、ぼくたちのコミュニケーションの在り方を変えたし、家族も親戚もバラバラに暮らしている。暮らしの環境は、大きく変わり、それを昔に戻すことは出来ない。それでも、家族の概念を広げること、地域や公立文化施設の役割を見直すこと、「自分のためではなく、地域全体にとって何が善いことであるか」と考える人と人が無数に結び合っていけば、いまどきの「地域の力」を復興できるのではないだろうか。ぼくは、そう考える。

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プロフィール

いわき芸術文化交流館アリオス 支配人
大石 時雄
1959年7月、福岡県久留米市生まれ。
大阪芸術大学芸術学部舞台芸術学科演技演出専攻を卒業。
広告代理店を退職後、1985年5月、演劇ダンスの企画制作会社ヴィレッヂを設立。伊丹市立演劇ホール、世田谷パブリックシアター、可児市文化創造センター、いわき芸術文化交流館の立ち上げと運営に参加。現在に至る。

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