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人の数だけ、「被災」はある

宮城県仙台市 演劇家
横山真

新宿で体験したからこそ膨らんでいった「被災地」の悲惨なイメージ
 被災地における芸術文化活動の経験の中から感じたことを書き記す前に、まずは私自身の、震災当時のことについてを述べてみたいと思います。
 少々長くなってしまいますが、現在の私の感じていることへと繋がるとても大切なことがそこには詰まっていると思うので、しばしお付き合い下さりませ。


 2011年3月11日14時46分、私は西新宿のとある文化施設内におりました。そこは元々小学校であった建物の中身を改装した状態で利用されている施設であったため、揺れがある程度落ち着いたところで建物の中から施設利用者達がぞろぞろと校庭の方へと避難してきたのでした。
 近年にない大きな揺れであったことと、短い間隔で度々起こる大きな余震に「これはただ事ではない」という認識をあの場に身を置いていた者の多くが抱いたようで、最初の揺れから30分以上過ぎても妙な興奮状態が続いていたように記憶しております。
 やがて携帯のワンセグやSNSなどによってこの震災の全体像が明らかになってゆく訳なのですが、その情報が入ってくるまでは、この近年体験したことのないほどの揺れの震源地が、遠く離れた東北の地であったとは思いもしなかったのではないでしょうか?少なくとも私は、そう思っておりました。離れていたとしても、この揺れの規模からして北関東くらいが震源なのではないかと。
 しかし現実には、そんな私の想像を遥かに超える規模の震災が、東北の地に訪れていたのでした。


 さて、ここで個人的なことを申し上げると、私は、生まれこそ埼玉県ではありますが、その後いわき、仙台へと移り住んでいて、人生の大半を東北で過ごしてきたのでした。高校卒業後は演劇を学ぶため東京の方へと出てきはしましたが、いずれ仙台に帰ってきてそれまでに学んできたものを地元の演劇文化の発展へと還元させることを目標としており、ちょうどこの数ヶ月前である2010年末辺りから仙台⇔東京間を度々行き来するようになっておりまして、数日前にも仙台へと足を運んでいたのでした。
 それだけに尚更仙台の様子は気になってしまっていて、更に、新宿であの揺れを体験したことにより「新宿でこれだけの揺れだったのだから、震源である宮城ではいったいどんな状況なのだろうか、、、」という不安が否が応にも膨らんでいったのを未だに覚えております。


人の数だけ「被災」はあり、ひとつとして同じ「被災」は存在しない
 思うに、上記のような思いによる精神的ストレスだってある種の「被災」なのではないでしょうか。
 たしかに被害度で言えば東北と関東ではかなり違うものがあるかもしれません。がしかし、それは被害のベクトルというか、質が違うだけのことで、どちらかがより重くて、どちらかが軽い、という風に単純比較できるものではないと思います。
 例えば関東に身を置いていても東北に家族や友人など大切な人がいればそれはまた違った精神的苦痛を感じるでしょうし、また同じ東北であっても内陸部の方が沿岸部の方と比較して「いや自分はあの人達よりはまだましだから、、、」と自らの失ったものへの想いを吐露する機会を放棄してしまうこともあり得るでしょう。
 それだって、ある種の「被災」なのだと思うのです。


 私が震災後に訪れた場所は、故郷である仙台、いわきはもちろんのこと、沿岸部では石巻、松島、東松島、女川、亘理、荒浜、野蒜などがありましたが、いずれも全く違った問題点を抱えているのだなということを痛感させられました。
 沿岸部と都市部では津波被害の有無の差もあるために被害の質が違うのは容易に想像がつくとは思いますが、同じ沿岸部であっても、ひとつとして同じ被災状況であったとは言い難いものがあります。地形の差も影響しているでしょうし、交通網が遮断されてしまったために孤立してしまった場所や原発事故による影響でなかなか復旧作業がうまくいかず、半年以上もインフラが全く整備されずにいたところもありました。
 しかしここに挙げたものでもまだ大枠の話で、それぞれの土地の被害状況に応じて比較的大きな単位での対策を講じることが可能ではあるのではないでしょうか。や、まあ、それだって大変な労力と時間を要することになるでしょうけれども、しかしそれは逆に言えば、労力と時間さえ根気よくかけてゆけば確実に改善してゆくことが見込める領域の話ではあるように思います。


 それよりも厄介なのは、この項の最初に述べたような精神的ストレスをはじめ、震災(と、その後の原発事故)が生み出した人間関係・或いは地域間の関係の歪みなどを含めた「目に見えない形での被災」なのではないでしょうか。
 何故ならば、それらは人の心の面に関わることであるためで、それだけに人の数だけ「被災」の形がある、ということになるからです。


いくつかの現場で感じた「日常の中の被災」
 これは仙台市内のある福祉施設にてダンスのWSが行われた際に補助者として参加していて出会った光景なのですが、ある曲がかかった時に参加者の一人の方が急に涙を流し始めた、ということがありました。
 理由を聞くと、そのWSの参加者の中の一人を指して「彼の思い出の歌なんだ」と話しました。その当人は、この曲を噛み締めるように聴いていたのですが、どこかもの寂しげにも見えたため、その時の彼の表情は今でもこの網膜に焼き付いております。


 また別の場所では、とある沿岸部の地域にある小学校にて行ったWSの際に、彼らと交わす何気ない会話の中で当たり前のことのように津波のことを話してきたりしためにどきっとさせられることもありました。
 もしかするとこちらが意識過剰になっているだけのことなのかもしれませんが、しかし、その意識過剰になってしまうことすらも震災を経てしまったからこその結果なのだと考えてみると、これはもう避けて通ることのできない、この今の時代の日本に生きる人間である以上は付き合ってゆかねばならないものなのだろうなと、そう思うようになってきました。


 特にこの東北という地では、この震災というものが何をするにも付き纏うようになってしまったと言えます。
 東北で行うことのほとんどが震災と結び付けて考えられてしまうようになってしまったし、震災以降東北へ対する注目度は上がり東北以外の地域との間で人の行き来は増えたけれども、反面、外部の人々にとって「震災」や「復興」以外での関わりが考えにくくなってしまっているようにも見受けられます。
 結果、「復興支援」と証した企画やイベントが乱立し、皮肉にもそれが原因で現地発の企画がそれらに食われてしまう、という事例もいくつか耳にしたことがあります。


何を以て「被災」なのか?「復興」なのか?
 これは私の個人的な見解なのですが、このような悲しい結果を招いてしまった「復興支援」というものほど、「何を以て「被災」なのか」という観点が不足しているように見受けます。何を以て被災としているのかが明確でないから「復興」というものが更に不明瞭になり、結果として現地民の邪魔にすらなってしまっているのだと思うのです。


 また、それに加えてもうひとつ重要になってくるであろう観点として、「今問題となっていることは果たして震災が原因なのか」という点も挙げられると思います。もしかするとその問題は震災前から元々存在していたもので、震災がきっかけとなって顕在化しただけなのではないか、ということです。
 ここを見誤れば、その問題の根深さを甘く見積もってしまい解決までの道筋をいたずらにこじらせることにも繋がりかねませんし、また、今後再び大きな災害に見舞われた時にもまた同じような悲劇を生みかねません。


 だからこそ、現場を知る、ということが非常に大切になってくるのだと思います。時の流れと共に問題点も刻一刻と変化してゆく訳でありますし。
 そうして実際に訪れてみることで現地の今の空気を感じ、現地の人と向き合ってゆくことが必要になってくるのだと思うのです。


 そして実際に現場を訪れ、現地の方々と触れ合ってみるとよく見えてくることがあります。
 それがこれまでにも何度か触れてきている「人の数だけ被災の形がある」ということです。


 それは、震災から2年近くが経とうとしている今だからこそ余計に強く感じてきております。
 ある程度インフラが整備されてきつつあるので(その限りでない場所もまだ沢山ありますが、、、)、それまでの大きな問題に隠れていて見えずにいた細かな問題点が、あちらこちらから現れ始めているためです。


「カオスを、カオスなままで」その多様性がアートの強み
 大枠の部分の整備が進んでくることで、そこから零れ落ちてしまっていた細かな問題や小さな声が浮き彫りになってくるのだと思いますが、そうなった時にこそ有効になってくるのが、アートなのだと思います。


 そもそも、「人の数だけ被災の形がある」などというと一見途方もなく困難な事態のようにも感じてしまいがちですが、しかしよくよく考えてみればそれはひとつの価値観の中に全ての人達の考えを押し込めようとする人間にとって極めて不健全な状態からの視点での発想で、冷静に考えてみればこんなにも当たり前のことはないのではないでしょうか。


 同じ考えの人間なんて一人として存在しません。
 こんな当たり前のことを、ともすると現代の人は忘れてしまいがちです。
 しかし、多様性の肯定こそがその本質であるアートには、その当たり前のことを思い出させてくれる力があります。
 「カオスをカオスなままに」提示することができるのが、アートの強みなのです。


 また、同一の空間内で多様なあり方が共存できる演劇などは、「語り継いでゆく」ことにおいて非常に優れている媒体でもあると思っております。
 真逆の価値観を持った存在ですら同一の空間に共存させひとつの作品としてしまうことが可能なのだから、この今の混沌とした空気感というか、人々の想いの渦のようなものも語り継いでゆくことが、、或いは戯曲を演じることで以て、時代を経た後でも今の時代のこの空気感を疑似体験してゆくことが可能なのではないかなと、そう思うのです。
 もちろん今の時代の人々が創り上げたものを正確無比に保存し伝えてゆくことは無理だとは思うけれども、しかし、演劇に限らず優れた芸術作品というものは突き詰めてゆけば必ずや普遍に行き着くものだと思うし、その普遍性さえあれば、時代の流行り廃りなんてものをものともしない確かな強度を備えたものとなるはずです。


 思うに、アートが震災復興の過程で何ができるのかといったら、ここに尽きるのではないかと思います。
 芸術作品に触れるにしても創作活動を行ってみるにしても、自らを含めた人間の多様なあり方を認め、受け容れ、どのようにして付き合ってゆくか、それを問い直す機会を生み出してゆくこと、それがアートの力なのだと、信じております。

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