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震災から2年。東北のこどもたちと出会う中で。

ただじゅん企画 舞台実演家・表現活動インストラクター
多田純也

 東日本大震災から2年。長くもあり、あっというまのようでもある2年間です。
震災直後は東京に住む私も公演など仕事のキャンセルが続き、再開した保育園公演先では太鼓を叩くと「地震が来ちゃうよ!!」とこどもが耳をふさぐなど、東北だけではない被害と影響の大きさを感じたものでした。


 岩手県出身ということもあり被災地を身近に感じ、早く現地に駆け付けたかったのですが、国道の開通とガソリンの確保のニュースをまち、1ヶ月後に東京おもちゃ美術館のプロジェクトに参加し、おもちゃセットなどを持って陸前高田の避難所の子どもたちを訪問した活動を皮切りに訪問活動を始めました。気がつくと様々な活動で2年間で40回以上、青森から福島まで、東北道、常磐道を往復し、東北をたずねました。何かをしたいとか、届けたいというよりも、そこに身を置きたい、津波の跡を見届けたい、そこにいるこどもたちにあいたいという気持ちが強かったような気がします。
気仙沼避難所獅子舞


 現地に滞在して活動されている方達に比べればわずかな体験ではありますが、様々なプロジェクトの皆さんに交通費を負担していただくなどして送り出されていますので、報告の義務があると思い、上演の中や様々な場面で被災地のお話をさせていただいています。


 最初の頃は、津波の光景と避難所の雰囲気、続く余震にこちらの気分がのまれてしまい、ひるむ私たちにこどもの方から声をかけてくれて勇気をもらい実施することもありました。しかし、あそびの中で交流が進むと笑顔もでて、短い芸能やお話の上演などもすることができました。
 仮設住宅入居が始まり、避難所がなくなって保育園などが再開すると保育園などへの訪問公演が増えてきました。また、ボランティアではなく、公演料や講師料をいただける公演やワークショップも実施されてきています。


 また、自分が現地に行くだけではなく、児演協などでつくる、子どものための舞台芸術創造団体の会「東日本大震災支援対策室」の実行委員会にも参加し、被災地と劇団や音楽団体をつなぐ制作活動も行ってきました。
 訪問先、派遣先の児童館長や保育園職員さんは、「津波の中で助かった子どもも、目の前で流されてゆく人を目撃したり、余震で傷ついている、ぜひ楽しい舞台を見せたい」「震災後初めてこうやって集まって楽しい時間を過ごせた」「笑っても良かったんだと気がついた」などと喜んでいただけます。もちろんこどもたちは本当に笑顔で観てくれます。
 宮城県気仙沼のある私立保育園。津波で建物が破壊され廃園になったものの、保護者の願いに応え保育士がボランティアで再建。賛同した建設会社が新園舎を寄付する開園式での上演など、地元の方と支援者の力を感じる感動的な場面が多くあります。ある幼稚園では「楽しい舞台を亡くなったこどもたちが客席の後ろで一緒に観ているように感じた」と先生が語りました。舞台を見る観客の側に通常ではない背景があります。


 初期の頃は出会うこどもたちに「退行現象」や「幼児化」のような状態の印象を持ちましたが、2年後の今は一見通常に戻っているかのようです。しかし、町の景色も全く元に戻っていない被災地のこどもたちの心の中にはまだまだ多くの思いが沈んでいるものと思います。


 上演実施にあたっての一番の困難を感じるのは、コーディネーターが少ないことです。被災地へボランティアや機会があれば公演に行きたい創造団体はたくさんあるのですが、現地とつなぐ方が少ないのです。
 実施の派遣の仲介をしてくださる団体は、地元の被災者さんたちでつくる団体もあれば外から支援に入っている団体もあります。うまくつながると実施ができますが、まだまだ周知も足りないのが実際です。
 また、もともと震災前から東北沿岸地域はこどものための創造団体が頻繁に公演をしていた地域ではないのでつながりも認知も少ないこともあると思います。実施が決まって、関東から劇団を派遣しても様々な理由で公演当日実際にはこどもや親子連れが全く集まらなかったり、少人数だったこともしばしばあります。いずれにしても現地コーディネーターによるマッチング作業が重要だと感じます。


 活動を通じ感じるのは、子どもを対象にした芸能、舞台、あそびなどの支援活動はどうしても「学習支援」「医療支援」などのあとに回されてしまうのだという事実です。しかし、これは被災地に限った事ではなく、子どもたちに舞台を届ける活動の通常の姿であり課題です。これからも文化芸術芸能、そしてこどもたちのあそびの活動の「市民権」を獲得する努力が必要でしょう。
南三陸町


 このところ、福島県への訪問も増えているのですが、津波被災地とはちがう、原発震災の放射線被害の影響は大きいです。警戒避難区域からの福島県内や関東に避難しているみなさんのイベント、外で思い切り遊べないこどもたちを受け入れるキャンプ、などへも関わってきました。避難し、家族もバラバラに暮らす苦悩は解決の見通しがないため、厳しいものだと感じます。放射能への対応の考え方がそれぞれなので、一緒に話し合えないところにも難しさを感じます。福島県小野町では、公演先の公民館で同時刻にホールボディーカウンター検査が行われ、上演会場の隣が更衣室で白衣を着た方が廊下を移動されて、日常の風景になってしまっていました。集まった幼児をだくお母さんと話ができましたが、この状況が続く事は憂慮すべき事です。県が室内遊び場を推進していることもあり、室内での上演活動は歓迎されています。福島でも直接出合い一緒に考えられたら良いと思っています。


 いまだ31万人が避難生活を余儀なくされ、展望が見いだせない被災地でのこれからの創造団体の関わりは、これまで続けてきた、癒しやひとときの楽しさから勇気を分かち合う上演活動とともに、ドラマや音楽の中に共に未来を考えあう作品の上演、表現活動が求められてきていると思います。


 この2年間多くの創造団体が、首都圏や中部、関西など全国でチャリティー公演をしました。そこでは、観客と創造団体が芸能、音楽、演劇を通じ、呼応して被災地を応援しようという独特の空気が生まれました。
 震災をへて、それぞれの子どものための創造団体は作品や上演、ワークショップなど新たな創造に取り組みはじめています。東北でのこどもたちへの出合い、創造への試行錯誤のなかで、東日本大震災を乗り越えることが求められているのだと思います。東北での活動は、自分を見直す作業です。私も微力ながら、考え、迷いながらでも続けていきたいと思っています。


http://bgfsc.jp/report_img/

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