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復興支援と演劇

劇団飛行船 俳優
佐藤 耕

仮設住宅での青空公演。舞台も客席もシートを貼って。


 劇団から復興支援の話を聞いた時、参加したい強い思いと同時に、自分に果たして何が出来るのだろうと不安な気持ちがいっぱいでした。


 2011年3月11日、僕は劇団の稽古場にいました。
 今まで感じた事のない程の強い揺れに、自分の人生で初めて生命の危機を感じました。その夜は家まで4時間かけて歩いて帰り、テレビ報道を見て本当に大変な事が起きたんだと理解出来ました。いえ、後から考えるとその時は、まだ当事者としての大変さなどまるで分かっていませんでした。
 震災の翌日からは、東京に住んでいてさえ身の回りに不便を感じることばかりでした。流通は乱れに乱れ、ガソリンや日用品がなくなり、毎日聞かされる津波災害の悲惨さや、福島での原発事故の恐怖。小学生だった僕の娘は、放射線量の高さで校庭に出ることを禁止された日もありました。
 東京の僕たちがこんなに不便や恐怖を感じているのだから、被災地の人はさぞ大変な思いだろうなと、日が経つにつれ段々感じられるようになりました。 


 復興のため僕に何か出来ないだろうか。被災地のニュースに接する度にずっと思っていましたが、実際には何も出来ないまま時間だけが過ぎました。
 震災から半年程経ったそんな頃、劇団から復興支援の話がありました。岩手県、宮城県、福島県の幼稚園や仮設住宅などで、子供達にお芝居を届けると言う話でした。
 復興支援に行ける!自分も何か役に立てる!僕はすぐに「お願いします!」と返事をしました。しかし一緒に手を挙げたメンバーの中には若者が何人もいる。福島では依然放射線量が高いと聞いています。正直、彼等を連れて行って良いものかと悩みました。「ご家族とも話をして、参加するかどうか冷静に判断してね。」と僕はみんなに伝えました。でも数日後には全員から是非参加したいとの返事が返って来ました。


 作品はいつも上演しているキャラクター・ショーでしたが、入念に稽古をし直し、浮き立つような気分で川崎の稽古場を出発!
 被災地に着いて最初に感じたことは「恐怖」でした。海辺の街はほぼ津波で流され、空白の土地で間近に迫った海に対峙した時、もし今地震が起きたらどうすれば良いんだろうと、足が震えるような感じでした。
 ところどころに、店であったろう建物がポツンポツンと残っているだけの街並み。これから冬が来るのに、心許ない仮設住宅で未だに生活されている多くの家族、街外れに漫然と積み上げられた津波被害の車、車‥‥。


 最初の幼稚園での事、いつものような歓声と笑いに包まれた本番の後、園長先生が僕たちにこう言われました。「震災後、子供たちが本当の笑顔を見せる事がなかった。」と、そして「今日、子供たちの笑顔が見られたことが何よりも嬉しい、本当にありがとうございます。」
 園長先生が語ってくれたあの日の話は忘れられません。幼稚園のすぐ側まで水が迫って来た事。ただ幼子(おさなご)の命を守りたい一心での必死の行動。その時の判断が正しいか考える時間もない中で、近隣の方と協力して高台まで避難したこと。大切な人も物も沢山なくしてしまったこと‥‥。
 全てがあまりに生々しく、現地で起きた事の重大さを、ただ傍観者でしかない僕は受け止めきれず、やるせなさと、同時に余裕の気持ちで助けてあげようと考えていた上から目線の自分に腹が立ちました。東京でトイレットペーパーや、納豆が買えない事のイラつきだけで事の重大さが分からず、何も助けられず、ただの偽善者だったことに気付かされたのです。
 子供達にお芝居を届ける意義ばかり考えていましたが、先生も皆被災者でした。ご家族や大切な人を震災で失った先生が、余震の度に震災を思い出す子供達を「大丈夫だよ。」と、必死で励ましている日常がそこにありました。
 震災で子供達は大きなショックを受けていながらも、しっかりと現実に向き合っているように見えました。兄弟を失った子、友達を失った子、傷ついた子を、元気な人が励ます事が、ここでは当たり前のようになされていました。
 当初は、僕も励ましてあげようとの思いがありましたが、実際にこの環境で生活されている方の話を聞くうちに「頑張って下さい」とは言えなくなりました。もうすでに充分頑張っている、頑張り過ぎている人たちに、果たして自分たちは何が出来るのだろうと本当に考えてしまいました。


 僕たちは役者です。出来ることはお芝居をすること。お客様の前で精一杯演じることだけです。役を通してしか励ます事の出来ない僕たちだからこそ、お芝居を観て頂き、その一瞬でも笑顔になって頂ければと思い、力の限り演じて来ました。
 今日までに100ステージ以上の復興支援公演で、多くの子供たちの笑顔に触れてきました。子供たちだけでなく、先生や父兄の方から、心の底から楽しめたとの声も頂きました。感謝の言葉も沢山頂きました。劇中の「勇気100%」を子供たちは笑顔一杯、大人たちは涙ぐみながら一緒に歌いました。
 現地で子供達と触れ合っていると、とても人懐っこく人との距離が近い事に違和感を覚えることがあります。震災後から情緒が不安定になり、誰かといないと不安なようだと先生が話されていました。復興支援は終わりがないと感じます。まだまだ長くかかると感じます。
 最近、子供を亡くした遺族の方が、幼稚園の対応を訴えるというニュースを目にしました。災害の被害者が被害者を訴える、そんなやりきれない程の傷を負った人が、まだまだ沢山います。心の傷が完全に癒えることはないと思います。しかし東北の方々は、それでもシッカリと前を向いて歩み始めています。
 東京で忙しくしていると、震災があったことも忘れてしまいがちです。忘れられることが、一番辛いと現地の人が話していました。
 これからも共に、震災を受け止め、復興に向けて歩み、演劇を通じて少しでも笑顔を届けたいと真剣に感じています。復興支援は、継続こそが一番大事な事だと思うからです。
 共に頑張ろう日本!笑顔の子供たちを見ながらそう念じている毎日です。

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