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大道芸人達の被災地交流

サーカスアーティスト
金井圭介

 2011年10月、東日本大震災から半年経った頃のことだ。


<秋刀魚の港>
 「うお…、なんか曲がってない?!」
 外の景色を眺めながら、車に同乗している仲間達と目を丸くする。石巻港へまっすぐ続く道の両側に垂直に建っているはずの電信柱が、好き勝手な方向へ伸びている。
 「すごくない! やばいよね? なんか斜めってる…」と皆、独り言のように呟く。
 戸惑っている僕らにはおかまいなしにフロントガラスの向こうから80度から100度ぐらいにお辞儀した柱が両側に消えてゆく。
 その歪んだ風景は、建物も柱も90度があたり前の世界から来た僕たちを不安にさせるには十分だ。
 ズレてしまった風景は、自分たち大道芸人がこの場所にきた「復興支援」という動機にも揺さぶりをかけてくる。
 いままでも「復興支援」をお題目に東京周辺でいくつかの活動に参加してきたが、本当に役にたっているのかどうか確認するすべがない。


 その曲がった景色を見ながら、そんなことをボンヤリ考えていると、高さ8メートル近い津波が襲った石巻の港沿いの、かつて住宅や商店があった場所にたどり着く。
 20年ほど前にこの港町のホールで公演をやった記憶がよみがえる。あの時も今と同じ、ちょうどサンマの季節で、地元の漁師の人達に、生まれてはじめてサンマの刺身を食べさせてもらった。


 車外に出ると、生臭い匂いが鼻につく。
 大きながれきは撤去されたあとのようで、誰もいない荒涼とした風景の中に残留物や解体されていない建物がポツンと建っている。
ほんとうにこの街でサンマを食べたことがあっただろうかと、自分の記憶すら怪しい…。


 衝撃的な石巻港への寄り道を経て、内陸に30キロほど入ったところにある古川南中学校に到着。地震で半壊した体育館の改修を終え、お披露目として行う芸術祭で、自分たち「くるくるシルクDX」のステージを見てもらいにここにやってきた。


 学校正面を入ってすぐの廊下では体操マットが敷かれている。横から走り込んできたジャージ姿の生徒達が僕らの目の前でバク転、宙返りなどの連続技を決めていく。そのしなやかな動きには思わず拍手せずにはいられない。自分たちの特技を見せにきたのに、生徒達の躍動感あふれるワザに魅せられてしまった。あとで分かったことだが、震災で体育館が使えなくなったために、廊下が体操部の臨時練習場になっているらしい。


<芸術祭本番>
 学校の体育館が元通りになり、そこで行われた生徒達のバンド演奏や体操演技、そして僕らによるパフォーマンスは、会場のみんなの歓声に支えられ、大いに盛り上がった。
 「ピンク~!イエロー!ブル~!レッド~!(僕らのステージネーム)キャー!!!」などまるでロックコンサートの歓声。
 パントマイムでカラダを動かしてもらうミニワークショップや、ステージ上での生徒へのインタビューなど、生徒達にも積極的に参加してもらう企画が好評で、僕らにとっても思い出に残るステージだった。
 震災以降、悲しいニュースに囲まれ、体育館でやってきた部活やステージ発表も行えなかった生徒達の鬱憤。それが一気に解放されていくのが見えるようだ。みんなの声援や笑い声をうけて相乗効果で僕らの演技にも力がみなぎる。
 見る人の感覚に、直接うったえるパフォーマンスに言葉はいらない。他人と触れあい、楽しむことがいかに重要なことか。ネットが普及し、面と向かったコミュニケーションの機会が減っている今の社会にこそ、お互いに身体を張ったイベントが価値を持つ。
 かつて人類が火をおこし、そのまわりで歌い踊り、生きている自分達と自然や宇宙が同じ存在として繋がりを持っていたときのように、優れた文化芸術は人の意識を別な領域に運ぶことを可能にする。
 その儀式には遊びが必要だ。本気で取り組む遊びを見つけなければいけない。誰も傷つけず、自分自身もやればどんどん元気になる遊び。大道芸やサーカスのパフォーマンスにはそんな魅力があると思う。


<被災地交流>
 僕らがいくつかの復興支援活動をしていくなかで、実は支援しているという感覚では無いことに気づいた。
 「支援」という言葉の中には、困った人に手を差し伸べるという意味の先に、力のある人が弱い人へ手を差し伸べるイメージもある。だけどいつも「ちょっとオレ達そんなに力も無いし、エラくないんだけど…」と戸惑う気持ちがどこかにある。
 じつは僕らアーティストの行為は、支援=人助け、ではなくて、「交流」=心や気持ちの通い合い、ではないだろうか。
 少ない予算でも公演をする行為は確かに支援だけど、「見てくれてありがとう。呼んでくれてありがとう。」という感謝の気持ちもアーティスト側には常にあるのではないか。さらに言うと「あなたと出会えて嬉しい」という気持ちもお互いに芽生えるのであれば、相互感謝の交流ではないだろうか。
 以前はまわりに「復興支援行ってきます」と言っても、腑に落ちないモヤモヤした気持ちがあったが、「被災地交流行ってきます」とまわりに言うことでスッキリしたような気がする。


 僕たちは身体を張ったパフォーマンスを提供する大道芸人。言葉で説明しきれない喜怒哀楽をこれからも被災地に届けて、交流していければと思う。


追記


 あの震災から1年経った2012年のある春の日。4人で上野恩賜公園で大道芸をやっていたら「くるくる~!!!」と声をかけてくる修学旅行の集団が…、見ると古川南中学校の生徒達だった!
 そして、その年の秋にも同校の文化祭に呼ばれ、ただやみくもに元気なだけじゃない、落ち着きを取り戻した生徒達と再会することができた。

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