ご覧のページは、これまでのコンソーシアムのホームページを活用し、コンソーシアムの活動記録や資料等をアーカイブ化したものになります。

「花咲かせプロジェクト」 子どもはそのまま未来である。

子ども劇場おやこ劇場全国フォーラム東日本大震災対策本部 子どもとアートプロジェクト“明日” 事務局長
柳 弘紀

 明るい発展的な未来を無意識に前提とした高度経済成長の時代が終焉し、それに引き続いたバブル経済の破綻とともにはじまった先行きの見えない経済の長期的不況。そして、グローバル化という名のもとでの急激な異文化流入は、我々の文化環境を徐々に変化させ、周りを見渡すとその風景は激変していることに気がつく。現在、我々は誰しも必要な情報を等しく得る事ができ、自由に発言することが可能であると同時に、生身の個々は水面の木の葉のように流され浮遊する。下流は増え、格差は広がり、テレビとネット情報だけを受け取る文化的にも貧困層が出現、沈滞は時代のムードとなった。さて、この責任をどこに問おうか、勢い、クレーマーとして振る舞うのも半ば止むを得ないことなのかもしれない。原因の分析はともかく、世の中がおおらかさを欠いた「世知辛さ」に覆われてしまったということは文化関係者はあまり異論がないところであろう。文化を優先することは「贅沢」という風潮が蔓延し、心踊らない日常に覆われつつあったのである。
 そして、この大震災である。
 多大な人命と財産・社会基盤が一瞬にして失われてしまった。そして原子力発電所の事故とそれに続く放射線不安。世界に誇る日本を代表する文化として紹介されることが多かったアニメーションの黎明期に、「鉄腕アトム」が夢と希望と未来を語ったことは壮大なる皮肉となってしまった。取り返しのつけようのない痛みを伴って。
 尊い人命はもちろん、生活と「復興」を優先しなければならないのは当然のこと、異論があるはずもない。だが、一方で「文化」を語ることが憚られる状況となってしまったのも現実だ。
しかし、このまま絶望をしたり顔で語っていればよいのか。ただ、状況に甘んじていて良いのか。そこには、ここには、子どもたちが日々を暮らし、刻々と成長しているのだ。
 「子ども」はそのまま「未来」である。
 急激に好転しないであろう困難な現状をきちんと受け入れ認識しながらも、我々は人間として子どもたちに夢と希望を語らなければならない。そして暮らしのある「地域」で夢と希望につながる「文化」を絶やしてはならない。
 ここで「地域」を定義するならば、それはずばり「子どもの生活圏」のことに他ならない。子ども(例えば小学生をイメージして)が自分の足で移動する地理的範囲とそこに存在する人間関係の範囲は、生活者たるおとなにとっての「地域」とぴったり重なるであろう。
 また地域において文化は風習・風俗・食習慣・儀礼・芸能・礼・歓待・催事・・・として表現される。無ければ無いなりに生存していくことはできるが、根源的な文化を徹底的に破壊されてしまっては、人々は地域で「生きて」いくことはできないであろう。「文化」とは要するに「遊び」のことである。必要不可欠とは意識されず、場合によっては「遊んでいる場合ではない」と批判される、そういう「文化」なのではあるが、それでも人は「文化=遊び」を欲する。ホイジンガを引用するまでもなく人類は「ホモ=ルーデンス」である。文化の力は大きい。心うちふるえる「文化=遊び」がその地域において「生きる歓び」となることは、誰しもどこかで実感している。「当面必要ない」としても、やはり「絶対必要」なのである。それを古より「まつり」と呼んできたのではなかったか。「まつりごと」は本質的に地域のものである。そこに暮らす子どもたちには文化は権利として保証されなければならない。たとえ、天災・人災で地域が物理的に破壊されたとしても。
 我々「子ども劇場」「おやこ劇場」(以下、子ども劇場)は子どものための文化団体である。「子ども」「舞台芸術」「文化権」を守り促進することを使命とする市民団体として、生活圏である「地域」で活動し続けている。個々それぞれ様々なスタイルで活動しているが、この大災害においてその被災地に暮らす子どもたちを全国的に連帯して応援すべく「子どもとアートプロジェクト“明日”」を結成し、募金(活動支援金)を募集した。2013年2月末現在で1,000万円を超える額が集まったのは、ひとえに被災地の子どもたちの笑顔が届けの一念である。
 我々は、いわゆるボランティア公演を震災直後に届けるというような活動は行わなかった。何より生命と生活が優先するということと、全国から寄せられる募金に託された本質的な意味を慎重に考えるということである。ボランティア元年といわれた神戸の震災、その後の中越地震、中越沖地震などでの支援活動の積み重ねにより、「公演を届ける」タイプの文化支援は進展してきており、単純に「被災地に届ける」だけでは、「供給過剰」と「アンバランスな流通」になることは体験的に理解していたことにもよる。また、自分自身が新潟県に拠点を置いており、中越・中越沖地震において文化芸術の支援は喜ばれた事実とともに一部「有難迷惑」な状況も醸し出していたことや「○○地域は報道が集中し文化芸術も含めあらゆる支援が届くが我が??町には届かない・・・」などの不公平感(事実かどうか別にしても)を見聞きしていた。そこで、被災地の子ども劇場の代表者と1年かけて何をすべきかをじっくり話し合いの時間を持ったのである。
 達した結論は、地に足の着いた、被災地域で暮らす人々が主催する活動を応援していくということであった。無償の公演としない一方、主催することにあたり負担感のない額で行えるように上演料を格安にした上で移動宿泊経費も募金をはじめとする全体財政から充当することとした。
 スタイルとして特徴的だったのは、子ども(18歳、いわゆる高校生相当年齢まで)は無料招待としたことである。これは、被災の状況格差、経済格差、文化意識の格差を超え、地域に暮らす子どもたちが誰しも参加できるように願いを込めたものである。おとなもまたチケットを買うのではなく、参加者は最低1口の寄付、意義を感じた人は何口でもという形をとり、地域主催ごとの財政を賄ったのである。
 作品に関しても議論を重ねた。東北6県および茨城県の代表者と何度も話し合いをもち、上演作品となる候補を絞っていった。地域で「まつりごと」を子どものために主催するという趣旨に照らし合わせて、それにふさわしい作品を選択するということを、実演家が被災地で上演したいという情熱より上位に置いたのである。一定の芸術性はもちろんではあるが、それ以上に子どもを巻き込みながら身近な地域で集まって小規模に集まる事が出来る作品、そして全年齢型の作品であることを基準に選択していった。我々は毎年「子ども劇場企画作品」という分厚いパンフレットを発行するなど、子どものための舞台芸術に関しての情報は集積しているとともに、実演家・団体とも上演企画側として一定の付き合いもあり、自薦他薦も含め候補作品は多数持っていた。その膨大な候補の中から、芸術性が高いにも関わらず、規模が大きすぎたり、特定の年齢のみ対象(高学年以上とか幼児のみなど)であったり、内容的に「まつり」に向かなかったり、被災地向きではなかったりなどして、選考から外した作品も実際多数あった。
 なお、企画を進めながら気がついていったことではあるが、ジャンルとして演劇が少なく(候補としてあげても地域が選択しなかった)、音楽・芸能が多くなるということがあった。数少ない演劇作品もミュージカルが多数を占めた。(ミュージカル3作品・演劇2作品)これは演劇を上演するための会場条件(音響・照明・舞台道具等)が被災地としてはハードルが高かったことに加え、演劇はそのストーリー性で観客の情動を動かすものであるので、言語・視覚表現が被災者にとっては「キツイ」芸術となってしまうのであるということだ。例えば、起承転結がありハッピーエンドの作品だったとしても、被災者の観客は「転」に耐えられない可能性があるのである。それに比べ、芸能は人間離れした技に驚けばよいのであり、音楽はストーリーのない抽象として聴くことができるので、被災者にとって受け入れやすい芸術となるのであろう。被災地向きの演劇もたぶんあることはあると考えるので、必ずしも一般化はできないが、演劇は我々にとって「時期尚早」だったのであろう。3年後、5年後じっくり取り掛からねばならないジャンルではある。逆に、被災地を離れた首都圏・西日本などでのチャリティー公演などでは演劇は大いに力を発揮するものになるに違いない。芸術性とは異なる観点からの「役割分担」が必要かもしれない。
 この「被災地で実行委員会を組み、地域の子どもたちと共に音楽・芸能・演劇・人形劇・パフォーマンス・展示・ワークショップ・遊びなど優れた文化芸術活動を主催していく」活動を「花咲かせプロジェクト」と名付けて展開した。それぞれのステージを花に喩え、同時多発的に一斉に大小様々な花が咲き乱れて、また、次の種を蒔いていくことをイメージしてのネーミングである。NHKが行なっている「100万人の花は咲く | NHK東日本大震災プロジェクト」のテーマソングも「花は咲く」である。我々はこれを全く意識しておらず、この曲がリリースされた2012年5月23日を遡ることほぼ一年前に名付けたものである。
 「子どものための文化のおまつり」をイメージしたこの「花咲かせプロジェクト」を2012年9月から2012年内、青森・秋田・岩手・宮城・山形・福島の東北6県と茨城県において100ステージ10,000人を目標として展開することとしたが、最終的には、2012年9月8日~2013年1月27日、22団体28作品、121ステージ、17,215人(うち子どもが9,975人)と、大幅にオーバーして終えた。財政的には予算を超え、厳しいものであったが、あらためて全国的に募金をお願いし、主催地域からも主催者や参加者からの寄付を仰ぎ、なんとか乗り切った。121ステージひとつひとつにドラマはあるが、ここでその全てを紹介することはできない。いくつかの特徴的な事例を以下に抜粋することとする。
 宮城県本吉郡南三陸町の旧歌津町での取り組みは、比較的被害の少なかった大崎市在住の子ども劇場の男性会員が、足繁く避難所に通って実現した3ステージである。震災直後の炊き出しから関わり、避難所の被災者に信頼を得ていたことが実現につながったのである。主催者は、老人と子どもが避難所において安心していられる居場所がないことに気がついていたので、何よりも「楽しいもの」「ホッとできるもの」という視点で作品を選択した。9月17日人形劇団むすび座(名古屋市)「おまえうまそうだな」、10月6日こまのたけちゃん(東京都)「あそぶあそび!」、12月22日リーフ企画(東京)「歌子さんのはじめてのコンサート」の3ステージである。この歌津町はテレビで報道されている南三陸町役場付近と同程度の被害があったにもかかわらず、報道等がなされることがなかった地域であることもあり、積極的に支援することにしたとのこと。避難所での困難としては、同じ歌津町内でも違う地域の自治会がいくつか寄り合った避難所で、同じ場所で暮らしているにも関わらず、しっくりと交流がなされていなかったということである。しかし、外部支援者、しかも、文化支援者としての存在は、すべての自治会に公平に取り扱われ、自治会を越えて一堂に会する機会を提供することとなった由。今後の要求も高いとのこと。主催者の情熱が地域を動かしたものになった。
 9月30日米沢市で行われたロバの音楽座(東京都)「愉快なコンサート」は、脊梁山脈を超え、自分たちとしては被災意識が比較的少ない地域ではあるが、峠一つを超えるだけで到着する近いところということで、福島県から母子が非常に多く避難して来ている地域である。主催者(米沢親子劇場)は様々な場面で積極的に支援として受け入れつつ、最終的に福島に帰るのか、それともここ米沢に住み続けるのか迷い、地域と関わりを持ち切れないでいるそういう母子たちと、おだやかな古楽器による質の高い音楽と出会うことにより交流を進展することとなった。
 福島市で行われた劇団俳協(東京都)「かいけつゾロリ」の取り組みは少々異色である。「花咲かせプロジェクト」は前述したとおり、子どもの生活圏たる地域での上演を目指したものであるが、この取組のみ会場となったのは福島市の中心部に位置する福島県文化センターの大ホールであり、基本の趣旨と異なるものとなった。放射線の影響により、外遊びを避け、集団遊びが困難な地域として、そこに薄く広く暮らす子どもたちの大多数が一堂に会し、元気を確かめ合い、同じ作品を鑑賞することにより、等しい感動を分かち合うことが福島市を中心とする地域の願いであったのだ。震災により傷んだ大ホールの補修終了直後の10月14日、1,800人のホールを満席の子どもたちで鑑賞したのであった。
 RMAJ(特定非営利活動法人 Recording Musicians Association of Japan)は、スタジオミュージシャンを中心にした業界団体である。ここには、メジャーでも活躍する「おおたか静流」をメインボーカルにして、バックバンドはスタジオミュージシャンたちで構成する「おおたか静流花咲かせでんでらコンサート」をはじめとする3作品を特別に制作していただいた。子どももNHKの番組でよく知るおおたか静流だけでなく、会場ごとに異なったバックミュージシャンのソロ演奏のコーナーでは、その技術に裏打ちされた素晴らしい演奏におとなも子どもも本物との出会いにすっかり興奮させられた。おおたか静流氏には、我々の趣旨をよく汲みとっていただき、子どもたちを主人公にしたコンサートとして舞台上から呼びかけてくださった。いわく、「今日は子どものためのコンサート、好きなように聞いてね、好きな所で聴いていいのよ、おとなは絶対に叱らないからね。」この呼びかけに応え、子どもたちは舞台に上がり憧れの歌手の足元で歌を聴くという贅沢が全9ステージで繰り広げられた。もっとも印象的だったのが10月8日山形市シベールアリーナで行われたコンサート。呼びかけに応え足元に集まる子どもたちに「「あら、今日のタイトルどおり、子どもの花が咲いたようだわ!」とおっしゃってくださったことが子どももそれを見守っていたおとなも嬉しいコンサートであった。そしてアンコールに歌ってくださったのが「花」(作詞作曲:喜納昌吉)。本当に花が咲くことが実現した瞬間であった。
 すべての取り組みを終えて感じていることがある。
 「花咲かせプロジェクト」の活動は「復興」でも「再生」でもなく、「新たな創造」だったということである。未来そのものである子どもたちにとっても、子ども(=未来)に対して、まっとうに夢と希望を語ることのできる被災地域のおとなたちにとっても、ここで舞台芸術が果たした役割は限りなく大きなものであった。


10月8日【花咲かせPJ】山形市シベールアリーナ おおたか静流SONGS 花咲かせでんでらコンサート 地域担当:山形子ども劇場


10月8日【花咲かせPJ】山形市シベールアリーナ
おおたか静流SONGS 花咲かせでんでらコンサート 地域担当:山形子ども劇場
コラムをまとめて読む場合は、下記からご覧ください。

関連コラム

ページトップへ