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魂のコミュニケーションとしてのジャグリング

ジャグリングアーティスト
望月ゆうさく

撮影:古賀義孝氏 1


ジャグリングについて
 私は現在東京藝術大学大学院に通いながら、12年間ずっとジャグリングを演じ続けてきたパフォーマーである。私のパフォーマンスはまず、観客との出会いから始まる。ジャグリングを観客が目の前で目撃し、驚きや笑いや拍手などの反応を観客が起こし、それが私のエネルギーとなり、再び観客にジャグリングでお返しする。私のジャグリングはいわば感情のキャッチボールなのである。だからこそ私は表現者として、普段考えていること全てがパフォーマンスに反映される写し鏡だと思っており、観客や演じる空間、雰囲気によっても変化する生き物のようなものであると考えている。つまり私の表現は、言葉を必要としない魂のコミュニケーションであり、心と心で通じ合う事ができる、その場限りの媒体なのである。そして観客を日常から解き放ち、非日常に連れて行くことができる必殺技である。この度の被災地での体験は、演じたパフォーマンスがその場で生活する方々の感情が写しだされた鏡であるとこを痛感したものであり、人間として、表現活動の重要性を再確認したものであった。


被災地応援パフォーマンス団
 2011年、以前から登録していた被災地応援パフォーマンス団からの連絡を頂き、宮城県仙台市のある施設に向かった。地元の子供たちやその親御さんに向けて演技をした。
 30分間のショーを、子供たちの目の前の奥行き2メートル×横幅4メートル程のスペースで行なった。ジャグリングをベースに、タップダンスを混ぜた『見ても、聞いても楽しめるジャグリングショー』である。出演料は頂かず、ボランティアとして参加した。交通費は支給され、プロジェクトに参加しやすいと感じた。
 演技をはじめて、驚いたことがあった。それは子供たちが、異常なまでに野次を飛ばしてきたことである。私はこれまで全国中の沢山の保育園や児童館、小学校の子供たちの前で演技してきたが、いきなり罵声が響いたのは経験したことがなかった。ショックだった。だが演技が終わると様子は一変、子供たちが「帰らないで」と強く抱きついてきたのである。私は、驚き、不思議な気持ちになり、深い疑問を感じた。
 なぜ子供たちは私のパフォーマンスに異常なまでに反応し、罵倒し、そして抱きつくのか?それは恐らく「子供たちが震災の影響でストレスを感じ、誰かの相手にされたい、守ってほしい、言葉では言えない感情を伝えたい、ぶつけたい!という感情を持っていたのではなかろうか?」と考えられる。「普段言葉で思いを伝えられたとしても、感情までぶつけることはなかなかできないのだろう。」私はそう感じた。この時私のパフォーマンスは単なる“楽しいジャグリングショー”ではなく、子供たちが抱えていたストレスのはけ口として役割を果たし、言葉ではない感情のコミュニケーションを行ったのだと思った。「子供たちがぶつかり合える場を欲している。」そう思った。
 そして私自身のジャグリングに対する捉え方も変わった。ただ楽しんでもらうという純粋な“エンターテイメントショー”とは全く違う意味合いを感じ、表現活動の重要性・必要性を感じた。私が表現者としてできることはこれだと気づいた。
の重要性・必要性を感じた。私が表現者としてできることはこれだと気づいた。


ふんばろう東日本支援プロジェクト
 2012年3月3・4日、東日本大震災からほぼ1年後の日に、私は石巻市の小学校体育館での被災地支援イベントに参加した。「ふんばろう東日本支援プロジェクト」のみなさまから呼んで頂き、ボランティアで参加した。この時も出演料は頂かず、被災地まで車で連れて行って頂いた。
 今イベントは、ジャンルを問わないアーティスト(ジャズミュージシャン・アカペラ合唱・ピアニスト・お笑い芸人など)が集まり、朝から夕方まで一日中地元の方々に楽しんで頂くイベントで、石巻市の小学校で開催された。
 クラシック、ジャズ、ポップスなどの音楽や大道芸など、芸術、大衆芸能など幅広い表現方法のアーティストが集った。沢山のアーティストがそれぞれの方法で表現し、地元の方は入れ替わりながら、楽しんでおられた。だが全ての表現に沢山の方が見に来るわけではなく、時間帯や表現内容によって観客の数も、反応も左右した。難しすぎる表現をされる方もいて、鑑賞者がどのように楽しんだらいいのか分からないといった様子も見られた。そういう点でジャグリングは現象が非常に分かりやすく、視覚的効果も強い為、老若男女問わず沢山の方に20分程集中して見て頂くことができた。演技スペースの体育館のステージは、天井の高さが低くジャグリングに適さなかったので、ステージ上と下とを組み合わせて行なった。またステージ下には他の演奏者の為にピアノが置いてあったため、それを避けながらの演技となった。


表現の場をコーディネートする必要性
 被災地支援イベントで、アーティストが全て自分の好きな表現を見せることは間違いである。何事も上手く見せる方法を常に考えていかなければならない。私たちの表現は一方通行ではないのである。だからこそ私たちは、被災地の方を受け入れ、考慮した上で表現をした方がいいと考える。自己満足の表現で終わってはいけない。大衆的でない表現であればある程、適した場があるはずである。そちらで表現したほうが感動は強く伝わると私は思う。また今イベントは小学校の体育館で開催された為、満足な音響・照明も無い状態であり、またオムニバス形式で演者が入れ替わりながら会が進行していくので、現地との相性の良いジャンルを選ばなければ、地元の方々の気持ちを盛り下げるだけで終わってしまう。それではいけない。ボランティアだからといっても、あくまで現地で暮らしている方々の事を考えたプログラムにしていかなければ、イベントは単なるアーティストの発表会になってしまう。そうならない為には、演じる場に合う表現を選び、またそれぞれの表現が生きる場を選び、作っていかなければならない。その為には被災地とアーティストを結ぶコーディネーターが必要不可欠である。コーディネーターを雇う為には資金が必要である。会場が大きくても小さくても、現地に合わせていくという努力の先に、観客の元気があるのだと感じた。


現地に行くことで学んだこと
 また、6時間以上かけて東京から車で現地に向かうということは人間として大変貴重な体験となった。移動中沢山の景色を見て、人を見て、改めて今回の震災の大きさを、身をもって感じることができた。私は大震災の時、福岡にいた為、実際に被災したわけではない。また情報を得るのもテレビやインターネットのメディアで見るのみであった。だからリアリティが少なく、どこまでいっても外から見ている状況でしかなかった。だからこそこの体験は非常に重要なものであった。ショックを受け、大自然の恐ろしさを感じ、そして人が生きることを感じ、とても大切な事を知った旅であった。


九州での復興支援舞台『時の響き―しあわせの瞬間―』の開催
 「ふんばろう東日本支援プロジェクト」で出会った九州のアーティスト達と共に被災地支援舞台及びイベントを九州で企画した。場所は佐賀県の有田市の炎の博記念堂で開催した。
2012年6月4日の時の記念日に、昼・夜の舞台公演及び被災地を歩かれたアーティストの発表会やパフォーマンスなど、沢山の催しが行われた。私は舞台『時の響—しあわせの瞬間—』の総合演出・出演を任され、ピアニスト3名とジャグラー1名の計4名と、地元の保育園の子供たちで構成する90分間の舞台を企画した。
 テーマは【時間と出会い】、実際に被災地で歩いたアーティストが、感じた気持ちをそれぞれの表現方法で伝え、ぶつけあった。“黙祷を連想させる秒針の音”や、“すれ違うアーティスト同士が出会う運命”を描いた。
 また、演目の中でピアノの音に反応して写真がパラパラマンガのように動く映像をコンピュータで作り、それを壁面に投影した。写真の内容は有田の町を歩くシーンから始まり、ある女性が書を書き始める。その写真と写真の間には被災された東北の風景が見え、最後には、書で「日本に笑顔の花を咲かせよう」という文字が映し出されるというもの。ピアニストは自身で被災地に行った経験を演奏に、私はジャグリングの演技に載せ、映像とともに演技した。


 舞台は地元の沢山の方々にご覧頂き、無事成功をおさめた。公演の終わりには、観客・演者全員で黙祷の時間をとった。パフォーマンスを通して、人と人、有田と被災地を結ぶ媒体としての役割を果たした。東北から距離がある九州では、リアリティのある内容を表現に載せることによって鑑賞者が東北をより身近に感じ、被災地を考える原動力になるということが明らかになった。


撮影:古賀義孝氏 2撮影:古賀義孝氏 2


撮影:古賀義孝氏 3撮影:古賀義孝氏 3


撮影:古賀義孝氏 4
撮影:古賀義孝氏 4


終わりに
 表現・文化活動は演技者や鑑賞者の心を耕す作業であり、眠ってしまった、もしくは失ってしまった生きるエネルギーを再発見する力を持っている。私はこの力を信じて被災地に向かい、この力によって被災地の皆様のいろんな表情を見ることができ、感情のキャッチボールを行うことができた。これらの体験を通して私自身も被災地について、表現について、人が生きることについて改めて考えることができた。私のジャグリングパフォーマンスは対面芸術であり、魂のコミュニケーションは私たちが生きていく為に必要不可欠な存在なのだ。とくに被災地での場合、一方通行の表現ではなく、観客の立場に寄り添ったキャッチボール・一体型のパフォーマンスが適していることが明らかになった。
 表現・文化活動はこれからも行なっていくべきではあるが、今後はその質も高めていかなければならない。その為には演者だけではなく、なるべくベストな環境を作る為の組織やシステムを作って行かなければならない。そうすればより一層アーティストの人としての個性を見せられる表現ができ、その場に参加された方々が生きるエネルギーを見つける事ができるだろう。
表現活動は心を再生させ、人と人を繋ぎ、日本全体を復興させる力の源となるのである。

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