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試される文化芸術のチカラ13 ~2つの祖国を持つアーティスト

東北文化学園大学総合政策学部教授 東北大学特任教授(客員)
志賀野 桂一

アーティストのジュン・グエン=ハツシバさん


 昨年「東アジア共生会議2012」(主催:文化庁ほか)が行われ、その時お会いしたジュン・グエン=ハツシバさんのことを紹介します。
 私が最初に見た彼の作品は、《ナ・トラン(ヴェトナム)のメモリアル・プロジェクト――複雑さへ、勇気ある者、好奇心をもつ者、そして臆病者のために》という2001年に発表されたビデオ作品でした。
 インドシナ海で撮影といわれるこの映像作品では、海中でシクロ(注)をこぐドライバーと、あまりにも美しい海や光の色が対照的で、タイトルの意味もよくわからないまま私の心を動かし、どんな作家か知りたいと思っていました。それが前出の会議でパネリストとなった彼の話を聞け、レセプションで直接お会いできたというわけです。
(注):シクロ…ヴェトナムやカンボジアで見かける3輪の自転車タクシー


 簡単に彼のプロフィールを書くと、1968年東京生まれ。日本人の母、ヴェトナム人の父との間に生まれ、幼少時代を日本で過ごす。その後アメリカで美術教育を受け、現在はベトナム・ホーチミンを拠点に制作活動を行っている。2001年の第1回展に続き「ヨコハマトリエンナーレ2011」に参加、[Breathing is Free: JAPAN, Hopes & Recovery]を出品するとあります。
 横浜のトリエンナーレに行った私が見た中で、とりわけ美しい映像に魅せられて撮ったのが掲載の写真ですが、当時あのグエン=ハツシバさんの作品という認識は私になく、今回初めて彼の作品であるということがわかり2回の偶然の出会いをしたような気分となりました。また、彼の解説では作品の制作のプロセスが大変面白いものでした。



地図に描かれた川とランナーの記録が重なり大きな桜の樹となる作品
「ヨコハマトリエンナーレ2011」出品作ジュン・グエン=ハツシバさん


 制作の行程はこうです。
「まずは地図で街の地形を眺めるところから作品の構想がスタートします。今回はホーチミン市内の地図を調べました。そこに桜の花を描くことを考えて、地図上にラインを描きます。つぎにランナーにGPS装置を身につけて、その線の通りに走るのです。この装置に蓄積されたランニング・データをコンピュータに取り込んで、コンピュータ上にその軌跡を示します。そうすると桜の花がドローイングとなって表われてくるという仕組みです。」ヴェトナムと日本という2つのアイデンティティーを持つ彼は、今度は横浜に来てプロジェクトを進めようとします。


[Breathing is Free: JAPAN, Hopes & Recovery]「ヨコハマトリエンナーレ2011」出品作


 「当初はホーチミン市内だけを走って桜の花を描くつもりだったのですが、横浜の地図を見て、横浜の道を重ね合わせるともっとたくさんの桜の花が描けると考えました。ホーチミン市内を流れる大きな川の本流を桜の樹の幹の部分に見立てて、その川の支流を枝の部分に見立てています。ホーチミンと横浜を重ね合わせるということにも意味が出てきました。」こうしたなかで彼は、東日本大震災の報に接して、東北の被災された方々に捧げる作品にしようと決心します。
 「即座に変更しようと思ったわけではなかったのですが、震災復興のためにとサブプロジェクトを制作しているうちにその構想がどんどん大きくなって行き、サブではなくメインにしようと決断したのです。震災直後にホーチミンの街でGPS装置を身に付けて走り始め、横浜の街もあちこち走りました。」
 地図上の構想から現実の都市へ、地図上の川が映像作品のさくらの幹となり、走ったランナーのGPS装置の記録がさくらの花弁となる。ここには、「見立て」といった日本的感性が宿っていて面白い。彼は常々「仏教の根本的考え方である、輪廻の思想が僕にとっては非常に重要です。」そして「いま生きている生は前世と関係し、また次の生まれ変わりにも影響するという、すべての生がつながっているという考え方が、自分にとっての重要な考え方となっています。」と述べている。
 今回のプロジェクトは東日本大震災に触発された彼が、多くの若者たちの大地を疾走するという無償の行為によって桜の花を描く、そのことによる鎮魂と被災地にエールを送る彼なりの復興支援のカタチなのだということが見えてきます。
 この2つの祖国を持つアーティスト、ジュン・グエン=ハツシバさん、ヴェトナムの国の苦難を乗り越えてきている現実などと重ね合わせて考えると、こうした作品の生まれる理由も得心できたのでした。
(C)写真撮影:志賀野

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