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震災後の公立文化施設・文化政策の行方を探る1 

えずこホール
水戸 雅彦

芸術銀河2012 × Art Support Tohoku-Tokyo「なんのためのアート」
(2013.1.26支援を考える集い於:仙台メディアテーク)


震災からまもなく2年。途中経過の振り返り。


 3.11からまもなく2年が経とうとしている。鮮烈に蘇る記憶と、混濁し少しずつ消え去り始めている記憶が去来する中、復興への途中経過の振り返りとして、ちょっとしたまとめをしておこうと思う。
 今回の震災について、千年に一度の地震、津波というも言われ方をしたりもするが、資料を紐解いてみると、三陸地域においてこの千年で少なくとも10回以上の大規模地震大津波が起こっており、ここ百年で3回の大地震、大津波に襲われている。1896年(明治29年)の地震、津波(明治三陸津波)、死者行方不明22,000人以上。1933年(昭和8年)の地震、津波(昭和三陸津波)、死者行方不明3,000人以上。そして今回の東日本大震災(平成三陸津波)では、死者行方不明18,000人以上。それぞれ津波の規模は最大で20~40mに達しており、同等の規模であったようだ。百年はそれほど長い期間ではない。にもかかわらず、私たちの記憶から、過去の災害はほとんど消え去ってしまっている。どうも人類は2世代(60~70年程度)ほど世代交代してしまうと、災害の記憶が次世代に伝承されないようだ。関東大震災の数年後に、寺田寅彦が人はあっという間に災害を忘れていくということをエッセイに書いているが、まさにそのことが今現在進行形で進んでいる。(“天災は忘れた頃にやってくる”は、寺田寅彦の発言した言葉であるが、出典は別にあるようである。)


被災地で起こったこと


内在化していた問題が顕在化したということ。
 初めて沿岸部に足を踏み入れたのは津波が来て1週間目のころであった。海岸沿いは漸く車が入れるようになったばかりで、通行止めの箇所も多数ありまだ行き交う車はそれほど多くはなかった。そして、そこにはまるで大規模な空爆により街がすべて瓦礫の山となったような光景が300キロ以上にわたって連なり、車をどこまでも走らせ続けても途切れることなく延々と続いていた。そんな光景の中、自衛隊は当然のこととして、他県の警察、消防、行政の車が既に支援に入っていた。これには驚いたと同時に少なからず感動した。震災の復旧という緊急の状況下とはいえは、行政はあっという間にその垣根を乗り越え、たくさんの人達が協力体制の中で献身的に活動していた。率直な感想として、平時においてこの協力体制をつくることが出来るなら、驚く程パワフルに柔軟性を持った素晴らしい仕事が展開できるのだろうと思った。
 一方、被災者に起こったことは、家族、コミュニティ、経済基盤(仕事)の崩壊。精神とアイデンティティ(地域、個人)の崩壊。それまで自分が寄って立っていたところや心の支えが崩壊、あるいは崩壊の危機に瀕しているということなのだと思う。それは考えてみると、平時においても一部のマイノリティ(社会的弱者)が常に抱えている問題であるともいえる。
 これらのことを考えて思ったのは、震災で起こったことというのは、日ごろ内在化していた問題が顕在化したということではないかということ、とすれば平時から常にそういったことを意識して事に当たっていれば、災害の際にさまざまな局面で柔軟性のある運営、活動ができるということなのだと思う。


東京都による芸術文化を活用した被災地支援事業「雄勝法印神楽 舞の再生計画」
(2011流された神楽の舞台整備とワークショップ)


被災地・被災者支援とは


 全国からたくさんのアーティスト、その関係者も支援に入った。それらの善意に対しては深く感謝し、敬意を表するものであるが、中には親切の押し売りや、一部自分のプロモーションになってしまっているものもあり、受け入れ側が閉口したといった話を聞いた。また、あまりにも多くの支援が殺到したため、「被災者にも土日は欲しい」という状況もあったようである。支援は、支援を受ける側の立場に立って考え、状況を十分把握した上でなされるべきと思う。たまたまエドガーケーシーの本を読んでいて、支援についての示唆的な文章があったので引用する。
「人助けとは、自分より弱い立場の人たちを、かわいそう、かわいそうと言って、その弱いままにさせておくことではなく、その人の個性を見て、育て、その人に自分でやる気になってもらい、自分自身の理想を明確にして自分の足で前進するように援助することである。」
「援助とは、人を引っ張り上げることではなく、はじめお尻を押し上げて、やがてその人によって引き上げられるようにその人をすること。その人が自分自身の生命エネルギーを活かして生活できるように仕向けることであって、けしてその人を物質的に援助して、それだけで良しとすることではないし、またその人が自分でしなくてはいけない機会を奪って、私たちがどんどんやってしまうことでもない。」
 震災直後から継続的に支援に入っているJCDN(ジャパン・コンテンポラリーダンス・ネットワーク)の佐東さんがこんな話をしていた。「私たちが被災地で何かをするということではなく、私たちが、被災地の人たちに盆踊り、お神楽を習いに行くことが大切なのではなか」。盆踊り、お神楽は地域のアイデンティティであると同時にそこに住む人たちのアイデンティティでもある。その崩壊の危機に瀕している盆踊り、お神楽を誰かに教えるということは、アイデンティティの再生、再構築そのものであり、そのことを通して地域、個人が再生していくのだと思う。
 同様に、東京都による芸術文化を活用した被災地支援事業<a href="http://asttr.jp/"target="_blank">(http://asttr.jp/)</a>も、東京アートポイント計画の手法を使い、地域のコミュニティに対して、現地の団体と協働してアートプログラムを実施する事業として、地域の主体性に立脚した支援を継続的に展開している。この事業には、えずこホールも宮城県の事務局として微力ながらお手伝いさせていただいている。
 さて、支援のあるべき姿について考えていてある思いにたどり着いた。それはそのまま地域に根ざしてさまざまな活動を展開していく際に大切な考え方そのものであるということだ。地域の実情に即し、そこに住む住民の主体性に立脚して事業を展開する。これは、被災地支援、まちづくり、アートプログラムを問わず、また、平時、災害時を問わず、何をするにしてもさまざまな場面において最も大切なことなのではないかと思う。

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