忘れない 文化芸術が紡ぐ絆を信じ 7
渡辺 一雄
左:気仙町「けんか七夕まつり」 右:宮古市「黒森神社例大祭」
祭の起源は様々でしょう。尤もわたし自身その分野の専門家ではないので知ったかぶりは慎まねばと思っています。前回お約束したように去る11月に被災地3県の「復興推進員連絡会議」で文化芸術の復興を支えるものは何かという論議の過程で、そのテーマとして取り上げるべき事柄のひとつにこの「祭」の再開の様子が話題となりました。そこで、今回はこの「祭」を取り上げてみたいと思うのです。
私は京都南部(宇治)近郊に生まれ神社仏閣に囲まれたなかで育った所為もあり、さほど関心の高いものではありませんでした。しかし震災の復興の過程にあって「祭」は復興を担う「ひと」そのものの魂を支え、地元意識を回復する貴重なものという考え方には、わたし自身学生時代に地元で出会った映画作品「祇園祭」(山内鉄也監督、1968年公開)のことがある種の感動とともに蘇るなかで改めて「そのとおり」と合点するものがあるのです。
平安後期にあって、当時京の都は内陸の湿地帯にあって今で言うマラリアや天然痘、インフルエンザなどが大流行したそうです。さらに長岡京遷都工事中に起こった「藤原種継」暗殺事件の無実の罪を被りながら亡くなった「早良親王」らの怨霊の仕業との卜占があったことにより、この難局を乗り切るには「祭」しかないということで市民が立ち上がったことに遡るとされています。(祇園祭-Wikipediaより)
上記の作品は、まさにこの歴史的事件に取材し脚色されたものと記憶しています。過去幾度となく津波震災に襲われてきた三陸沿岸部の人たちは、千年に一度の災厄といわれる今回の大規模の津波被害のもとで、「祭」はまさに難局を乗り切る切り札として主唱されている、自然に沸き起こった声なのかもしれません。
左:大船渡市「浦浜獅子踊り百ヵ日法要」 右:大槌町「小槌神社例大祭」
ここで再度お断りしておかねばなりませんが、元々専門家でない私には「祭」そのものの学術的解説をする力はありません。しかし、ここで留意しておかねばならないことがあります。
それは、神仏への祈願をこめたひとつの様式をもって確立されてきた宗教的儀式(美)を基盤に構成されてきた本来の「祭」。そこに未来を託されるであろう若者たちの心意気、或いは彼(女)等の瑞々しい感性を取り入れた「創作」性が新たな文化的要素として加味され、厳粛な中にもそのエネルギッシュな力を強調した「祭」が語られる余地が生まれていることです。こうしたことは、必ずしも地元に限定しない若者回帰のきっかけとして、彼等を呼び込むひとつの流れとして捉えてみては如何でしょうか。
具体的な「作品」が今後どのように生み出されてくるのか、全てを飲み込んでいった津波が引いた後に、こうした若者たちが「祭」という形を通じてしたたかに再生する「ひと」の生活美(これは私の勝手な造語ですが)をどのように飾ってくれるのか、注目していきたいものです。
そして、明らかにこうした「祭」の創造のなかで伝統芸能を巻き込んだ地方文化のいい意味での「世代交代」が今後進むことを期待したいものです。
陸前高田市「うごく七夕まつり」
全写真:阿部武司 DVD「3・11 東日本大震災を乗り越えて いわて・みやぎ沿岸部の民俗芸能 復興と現状」より